「いつ最後の会話になるか分からない」 故郷ウクライナを思い続けた1年 支援続ける大学生ら「平和が訪れるまで」

「たいへんな1年だった。今までで一番たいへんな1年」。広島市に住むホーチナ・アナスタシアさんは、この1年をこう振り返りました。

ウクライナ中部にあるチェルカッスィ出身で、両親と弟は、今もそこで暮らしています。頻繁に連絡を取り合っているといいますが…

アナスタシアさん
「きょう、話をしても、あす、話ができないかもしれない。いつ、最後の会話になるか、本当に分からない」

こうした気持ちはウクライナの人たちみんなが持っていると話します。

ロシアがウクライナに侵攻して以降、アナスタシアさんや広島に住むウクライナの人たちは抗議の声を上げ、切実な思いを訴えてきました。去年3月1日、広島県内に住むウクライナ出身の人たちが集まり、抗議の声を上げました。

キーウに長く住んでいたという女性は、「私が散歩した、私の大好きな、私の子どもに見せたいウクライナの場所が、もうない」と訴えました。

ジトーミルに両親が暮らす女性は涙ながらに訴えます。「早く戦争が終わってほしい。この子は日本で生まれて、1回もおばあちゃんを見たことがない。戦争が終わったら子どもたちと、ウクライナのおばあちゃんたちに会いたい。平和がほしい。それだけ」

アナスタシアさんも「軍の人だけじゃなくて、普通の人もたくさん命を落としている。子どもも、お年寄りの人も。だから絶対、戦争をしたくない。絶対、戦争が終わってほしい」と訴えていました。

ロシアによる蛮行に、国内外から抗議の声やウクライナ支援を呼びかける声が上がりました。広島でも支援の輪は広がっています。

「復興のプロセスまで見すえた支援を考えないといけない」 最も弱い立場にある子どもたちへの支援を

「防寒着がすごくほしいということだったので、カイロとヒートテックのくつ下300足を現地に送りました」

広島文化学園大学の講師・伊藤駿さんは、学生のころからウクライナの子どもたちや現地の教員たちと交流を続けています。伊藤さんは、学生の有志とウクライナへの支援を続けています。

23日からは、大学内でウクライナの現状を伝える写真展や講演会を開いています。会場に並べられた写真は、現地の厳しい状況を伝えています。ロシア軍のミサイル攻撃を受けたジトーミルにある小学校…。建物は破壊され、残った学生は、シェルター内にある教室で授業を受けているといいます。

伊藤さんたちは、「最も弱い立場にある子どもたちに支援を」とサポートを続けています。

去年3月、有志のメンバーでウクライナの子どもたちを支援するため、寄付金を呼びかけました。寄付の返礼品として折り鶴グッズを製作。返礼品に使う折り鶴は、学生が折るだけでなく、全国から寄せられました。集まった寄付金は150万円を超え、ウクライナの子どもたちを支援する団体に贈りました。

その後も現地の学生と広島の学生をオンラインでつなぎ、現地の状況や不足している物資など「生」の声を聞くことにも取り組んでいます。

現地の子どもたちとクリスマスカードを交換するなど、交流することを通じて学生たちも支援への思いが強くなっています。

広島文化学園大 3年 長谷倖希さん
「侵攻が収まるというか平和が訪れるまで支援していきたい」

伊藤さんは、侵攻が長期化することで、日本でも関心が薄れていくことを懸念しています。これからも現地の状況を発信していきたいといいます。

広島文化学園大学 伊藤駿 講師
「侵攻が終わった後に、復興過程が入ってくる。むしろ復興過程の方が長くなると思う。復興のプロセスまで見すえて、子どもたちを支えていけるようなことを考えたい」

広島に住むウクライナ出身のアナスタシアさんも、こうした支援を心強く感じています。アナスタシアさんのもとにも、毎日のように支援や応援の声が届いているといいます。

アナスタシアさん
「世界の人、日本の人もウクライナをサポートしてくれているから、ウクライナはまだ生きています」

ロシアがウクライナへ侵攻し、1年を迎えた24日、広島市中区の原爆ドームの前には、アナスタシアさんの姿もありました。

1日でも早く戦争が終り、ウクライナに平和が訪れる日を願い続けています。

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