“名門校の新時代築く” サッカー・北村一真(国見高→立命大) <心新たに 2023年春・8完>

2003年長崎ゆめ総体の優勝を記念した石碑の前で。高校サッカーは「楽しかった」=雲仙市、国見高

 紀伊半島の南東に位置する三重県尾鷲市。かつて「陸の孤島」と呼ばれたこの小さな漁村で生まれ育った北村一真に推薦入学の声がかかったのは中学3年の夏、大阪遠征の時だった。
 小さな町クラブの選手ながら、左右の正確なキックは本物。その類いまれなセンスに、二つの高校が目を付けた。3年後の全国高校選手権で復活を果たす国見と、一気に初優勝まで上り詰めることになる岡山学芸館。
 やがてこの2校が歴史を動かすとはつゆ知らず、少年は待ち望んだオファーを素直に喜んだ。
 「国見の存在すら知らなかったけれど、外に出て行きたい気持ちは強かった。秋ごろ練習に参加して、こんなサッカーをやりたいと感じた」
 こうして見ず知らずの地でスタートした高校生活。早速1軍のレギュラーをつかんだが、寮生活になじめず早々とホームシックになってしまった。「ストレスで家に帰りたいと何度も思った。同じような寮生は多くて、だから『変わった方がいい』という流れになったんだと思う」
 当時の国見は、強かった時代の縦社会文化が形骸化していた。丸刈り頭や意味を見いだせない決まり事。そういった伝統を形だけまねるのは、もうやめよう。ピッチ内外で自立する新時代の国見をつくろうという声は次第に大きくなった。

国見の10番として全国高校サッカー選手権で躍動した北村(手前)=川崎市、等々力陸上競技場

 慎重論も根強かったが、体育館に集まって部員で何度も話し合い、本来あるべき姿へと変革を進めた。すると、ピッチ上でも選手が生き生きとプレーできるようになり、自然と結果もついてきた。「サッカーは、まず楽しむことが一番大事」。手応えをつかんだ。
 1年時に九州高校新人大会を制覇。10番を背負った北村はU-17日本代表候補に招集され、一躍脚光を浴びた。2年時は悔しさを味わったが、最後の冬はチームを12年ぶりに全国へ導き、3回戦まで進んだ。「最高に仲がいい世代」と胸を張れるメンバーたちと、大歓声を受けながらプレーする時間は幸せだった。
 春からは立命大に進む。国見で中盤の相棒だった川添空良は関大へ、ストライカーの利根悠理は大体大へ、主将の上田陽南太はびわこ成蹊スポーツ大へ、同じく主将の村田一翔は阪南大へ。旧友たちと、今度は関西1部リーグのライバルとして戦える。
 「早く試合に出られるようにアピールする」。大学、プロ、そして日本代表を目指し、これからもサッカーを続けていく。楽しむ気持ちを忘れずに。

 【略歴】きたむら・かずま 三重県尾鷲市出身。尾鷲小1年時に尾鷲FCで競技を始めた。尾鷲中時代は紀州エスフォルソFCに所属し、校内マラソン大会で3連覇。国見高では1年時に九州高校新人大会を制し、2年時はU-17日本代表候補。3年時はチームを12年ぶりに全国高校選手権へ導き、3回戦で青森山田にPK戦の末に敗れた。左右の正確なキックと持久力が持ち味のMF。170センチ、67キロ。

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