「背負うのではなく、強みとして、憧れる」若き“伝え手”が語る「アイヌはかっこいい」とは

新千歳空港から車でおよそ1時間―。日本海方面へ北西に行けば、大都会・札幌に着く。反対の太平洋側に進路をとれば、同じくらいの時間で、人口の8割がアイヌにルーツを持つとされる集落、平取(びらとり)町二風谷(にぶたに)に到着する。隔絶された山村ではない。

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「雪深くはなく、暮らしやすい。食料を冷凍・乾燥させるのに適した気候で、その昔、アイヌは、2年分もの食べ物の貯蔵をしていた」と、関根摩耶さん(23)は話し始めた。アイヌにほとんどなじみのない静岡県人の「伝統的なアイヌの暮らしは、常に寒さや飢えとの戦いだったろう」という、勝手な想像をぬぐうように。

「アイヌであることを強みとして」発進したと語る関根さん

母方の祖父がアイヌで、二風谷で生まれ育った関根さんは、子供の頃、川で遊ぶ時に「魚捕りにはナイフを持って行きなさい。人が食べない内臓を出して河原に置いてくれば、キツネが食べる。家に持ち帰れば、はらわたは生ゴミになるだけ」と教わった。

「アイヌ語に、ホコリという言葉はあるけれど、“ゴミ”にピタッと当てはまる言い方はありませんね」

“捨てない”生活が当たり前だったからだろう。アイヌの世界観では、役割を持つとされたすべてのものに魂が宿る。肉は、食べやすいように切り分けられたら、そのひと切れずつが魂を持つ。

「だから、もし、ひと切れの肉が食べ残されたら、もったいないというより、“かわいそう”って思います。魂があるのに、誰にも感謝されず、取り残されてかわいそうと」

山に出かける時、関根さんは家族にこう言われた。「きのこ採りには、網を持って行きなさい」と。袋に入れたら、胞子が森にこぼれず、次のきのこが育たないから。ある種類の山菜を摘んだら、その場所からは6年間採集しない。再生を待ち、恵みを絶やさないためのアイヌの掟だ。

山菜のありかを日本人に教えたら、そのルールは破られてしまったが、「生態系を守ろう」と叫ばれる、はるか前から、アイヌは、その土地で持続的に生きる方法を考え、伝えてきたのだろう。「アイヌはカッコいい」。関根さんがよく使うキーワードだ。

講演の初めに話した「2年分もの食べ物の貯蔵」があったアイヌの豊かな暮らしは、明治時代に終わる。開拓で日本人が本格的に北海道に住み着いて、アイヌ民族にも、日本語と未経験の農業が押し付けられた。

「狩りに使う毒矢も禁止された。その土地に合った暮らし方ができなくなり」、アイヌは困窮する。そうした祖先の辛苦や、差別を受けてきた歴史が、アイヌがアイヌを語る時の原点だった。

でも、関根さんの立つ位置は、そこではない。「アイヌを背負うのではなく、アイヌであることを強みとして、アイヌに憧れる」ような発信をしたいと関根は言った。これまでなかった新しい角度からの呼びかけは、新しい受け止め方も生み出すに違いない。

(SBSアナウンサー 野路毅彦)

関根摩耶(せきね・まや)1999年生まれ。学生時代からアイヌ語講座を動画で配信。慶応義塾大を2022年卒業した。組織には就職せず、大学の講師や、アイヌと企業とをつなぐ橋渡し役、アイヌ文様を入れた小物作りなどを仕事としている。神奈川県在住

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