佐世保最古の石塔発見 新たな歴史も明らかに 井手平城跡千人塚修復調査プロジェクト

今回の作業で見つかった滑石製笠塔婆の塔身(井手平城跡千人塚修復調査プロジェクト提供)

 長崎県内の石材業者や石造物研究者など有志が、ボランティアで佐世保市新替町の井手平城跡ふもとにある千人塚の修復、調査に取り組んだ。県内で最古級、同市では最古の石塔(せきとう)の一部が発見されるなど、城跡一帯の新たな歴史も明らかになった。
 同市などによると、戦国時代末期の1586年、平戸松浦氏の最前線の城だった井手平城は大村氏ら連合軍の夜襲に遭い、城主だった岡甚右衛門や副将の堀江大学などが打ち取られ落城した。連合軍はさらに広田城を攻めたが、平戸松浦氏は撃退し、井手平城も奪還。この戦いでの戦死者を弔うため城のふもとに薬王寺を建てたという。千人塚にある墓も戦死者のためにつくられたといわれ、同寺が所有している。
 同市で石材業を営む「九州宇鴻」の社長、山口栄さん(59)は、昨年6月に堀江大学の子孫から同城跡にある堀江の墓の修復依頼を受けた。作業時に通る千人塚の墓が崩壊している様子を見て、自主的に修復を決意。薬王寺の許可を得て市に問い合わせ、石造物研究者の大石一久さん(71)=大村市=の紹介を受けるなどして昨年秋、県内の有志15人で「井手平城跡千人塚修復調査プロジェクト」を立ち上げた。
 今年2月、6回にわたり作業を実施。散乱している部材を本来の姿に戻すため、大石さんが組み合わせを分析。それに基づいて山口さんらが石材用接着剤を使って固定するなどして、59基を修復した。

修復した墓石を前に写真に納まるプロジェクトメンバーら=佐世保市、千人塚

 墓石を整理する中で、平安時代末の1100年代後半ごろの滑石(かっせき)製笠塔婆(かさとうば)の塔身(とうしん)が見つかった。大石さんによると県内で最古級、佐世保市では最古の石塔になるという。この発見で、当時同所では末法思想に関わる宗教文化がある程度波及しており、それを受け入れる有力者がいたこと、土地開発がある程度されていた可能性があることが推察される。
 また、県内3例目となる「重り」の発見もあり、これが竿秤(さおばかり)の分銅(ぶんどう)であれば極めて珍しい遺物となる。分銅であれば同所が商業上繁栄していたことが想定されるという。大石さんは「珍しい遺物も見つかり歴史学的にも貴重な成果があった。山口さんの功績は大きい」とたたえた。
 山口さんは「多くの人の協力のおかげで想像以上にきれいになった。将来、倒壊などがあったときのために写真や図面を資料として残しておこうと思う」と話した。同市文化財課の担当者は「民間の方がボランティアで史跡の保存活動を行うことは珍しく、素晴らしい取り組み」と話す。今後、同プロジェクトは調査報告書を同市などに提出する。


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