非常に歴史が長いクラブの一つであるリヴァプール。そのアカデミーからも多くの選手が輩出されてきた。
今回はそのリヴァプールのアカデミー出身者からのベストイレブンを選出してみた。
GK:トミー・ローレンス
生年月日:1940年5月14日
リヴァプール所属:1957~1971年
リヴァプールでのリーグ戦成績:306試合/0ゴール
実はリヴァプールのアカデミー出身で活躍したGKは数少ないため、1940年生まれのトミー・ローレンスを選出。スコットランドで生まれ、少年時代にイングランドへと移住。ワイヤーの工場で働きながらアマチュアでプレーし、その後リヴァプールのアカデミーに入団した。
17歳でトップチームへと上がり、それから14年間にわたってリヴァプールでプレー。引退後はかつて働いていたワイヤー工場に戻って普通の生活を送っていた。2015年には偶然BBCの街頭インタビューを受けて「1966年のFAカップ5回戦のリヴァプール対エヴァートンを覚えている?」と聞かれたことも。それに対して「もちろん!リヴァプールのGKとして出場していたよ」と答えて大きな話題になった。
CB:ジェイミー・キャラガー
生年月日:1978年1月28日
リヴァプール所属:1996~2013年
リヴァプールでのリーグ戦成績:508試合/3ゴール
近年では珍しくなったワン・クラブ・マン。リヴァプールに全てのキャリアを捧げた名ディフェンダーであり、現在イングランドで最も売れっ子な解説者の一人でもある。
もともと子供のときはエヴァートンのサポーターであったそうで、エヴァートンのスクールでも1年間プレーしたものの、より環境が整ったリヴァプールのアカデミーに移った…というエピソードで有名。
CB:トミー・スミス
生年月日:1945年5月5日
リヴァプール所属:1962~1978年
リヴァプールでのリーグ戦成績:467試合/36ゴール
地元のクロスビーという街で生まれた少年トーマス・スミスは、リヴァプールで公式戦500試合以上に出場し、クラブの歴史で最初の黄金時代にキャプテンを務めたセンターバックだ。
4つのリーグタイトル、2つのFAカップ、4つの欧州タイトルを獲得。名将ビル・シャンクリーが率いたチームのなかで最も重要な守備者となっていた。なおプレーはとにかく激しさと挑発を表に出した「闘将」だったという。晩年はアルツハイマー病を患い、2019年に惜しまれつつも死去している。
右SB:トレント・アレクサンダー=アーノルド
生年月日:1998年10月7日
リヴァプール所属:2016年~
リヴァプールでのリーグ戦成績:187試合/11ゴール
もちろんまだ現役であるが、右サイドバックではトレント・アレクサンダー=アーノルドの実績はすでにベストイレブンに選出して然るべきものとなっている。他にいるとすればジェイミー・キャラガーをこちらに移すかである。
守備面では毎回批判を受けるものの、攻撃参加した際の破壊力はまさに世界随一。スペースへの飛び出し、クロスの精度、そしてドリブルでの打開力。しかもまだまだ若い。
左SB:ドミニク・マッテオ
生年月日:1974年4月28日
リヴァプール所属:1992~2000年
リヴァプールでのリーグ戦成績:127試合/1ゴール
スティーヴン・ウォーノックとも迷ったが、リヴァプールのアカデミー出身で一時代を築いた選手と考えればドミニク・マッテオの方だろうか。最終ラインとボランチの様々なポジションでプレーでき、圧倒的な闘争心でハードタックルをかまし続けた。リヴァプール退団後に所属したリーズで非常に活躍した。
引退後はリヴァプールの公式TVでコメンテーターを務めたほか、解説者としても活躍。その一方でギャンブルと飲酒で破産したことも明かした。2019年に脳腫瘍で生死の境を彷徨ったこともあり、現在は認知機能に障害を抱えており、読み書きを学び直している状況であるという。
CMF:スティーヴン・ジェラード
生年月日:1980年5月30日
リヴァプール所属:1998~2015年
リヴァプールでのリーグ戦成績:504試合/120ゴール
もちろんリヴァプールの伝説のキャプテンであるスティーヴン・ジェラードは選ばなければならない存在。9歳でスカウトを受けてアカデミーに加入し、それから17年にわたって活躍を続けた。
2015年に退団してからは1年アメリカでプレーして引退。その後はリヴァプールのアカデミーで指導者デビューを果たし、それからグラスゴー・レンジャーズとアストン・ヴィラで指揮官を務めた。
CMF:イアン・キャラハン
生年月日:1942年4月10日
リヴァプール所属:1959~1978年
リヴァプールでのリーグ戦成績:640試合/50ゴール
リヴァプールのアカデミー出身であり、そしてリヴァプールで最も多くの試合に出場した選手。1960年に2部リーグでウインガーとしてデビューしたあと、センターハーフにコンバートされ、公式戦通算857試合でプレーした。
退団した後はアメリカに渡り、オーストラリアでもプレー。アキレス腱の手術を受けて引退を決意したときには40歳が目前だった。イングランド代表の1966年ワールドカップの優勝を経験したメンバーである。
右SH:スティーヴ・マクマナマン
生年月日:1972年2月11日
リヴァプール所属:1990~1999年
リヴァプールでのリーグ戦成績:272試合/46ゴール
「マッカ」の愛称を持っている1990年代最高クラスのウインガーだ。キャラガーと同じく少年時代はエヴァートンのサポーターで、先にスカウトされたのもエヴァートンだったそうだが、父親がそれを断ってリヴァプールに行かせたとか。子供の頃からクロスカントリーで優勝するなど卓越した運動神経を持っていたという。
1990年にプロデビューを果たすとすぐに活躍を見せ、その後左サイドやセンターハーフ、トップ下など様々なポジションをこなす。1999年にレアル・マドリーへと移籍するまで大きな貢献を見せた。
左SH:ラヒーム・スターリング
生年月日:1994年12月8日
リヴァプール所属:2012~2015年
リヴァプールでのリーグ戦成績:95試合/18ゴール
リヴァプールで成功した訳ではないが、アカデミーから輩出されて世界屈指の選手となった。ジャマイカで生まれてロンドンで育ったが、15歳のときにQPRからリヴァプールのアカデミーに移籍してきた。
それから2年後にはプロでデビューを果たし、17歳と107日というリヴァプール史上2位となる若さでトップチームへ。契約更新を拒否してマンチェスター・シティに移籍した後、課題であった得点力を劇的に改善させてブレイクした。
FW:マイケル・オーウェン
生年月日:1979年12月14日
リヴァプール所属:1996~2004年
リヴァプールでのリーグ戦成績:216試合/118ゴール
「ワンダーボーイ」の異名をとったリヴァプールアカデミーの最高傑作。1997年に17歳と143日でクラブ史上最年少ゴールを決め、プレミアリーグで戦った最初のフルシーズンで18点を記録した。圧倒的な加速力で最終ラインを破り、いとも簡単にゴールを奪ってみせた。
そのスタイルもあってそのキャリアは20代中盤から怪我との戦いになってしまったものの、リヴァプールでの8シーズンでは2試合あたり1ゴール以上の成績を残し、世界トップクラスのストライカーとして評価された。
FW:ロビー・ファウラー
生年月日:1975年4月9日
リヴァプール所属:1993~2001年、2006~2007年
リヴァプールでのリーグ戦成績:266試合/128ゴール
オーウェンとコンビを組んだこともある「ゴッド」ロビー・ファウラー。1993年にプレミアリーグデビューを果たすといきなりシーズン12ゴールを叩き込み、エースとして崇拝される存在になった。優れた技術と両足から繰り出すパワフルなシュート、そして創造的な動きに魅力があった。
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トラブルメイカーな部分や怪我がちなところがあったためにそのピークは20代前半から中盤で終わってしまったものの、そのカリスマ性は衰えず。一度退団したものの2006年に復帰し、ファンから大歓迎された。