電気通信工事会社を営むかたわら、FMひたちの開局をはじめとする茨城県日立市の地域活動に関わる田村ひろし(たむら・ひろし)氏。
日立市で活動すること31年、自らを「日立市を愛するよそ者」とし、日立市を「宝箱のよう」と表現する田村氏は、従来の型にとらわれない斬新で前向きな政策を多く掲げています。
今回は田村氏のこれまでの取り組みや、24年間無投票であった日立市でこれから実現したい「変える、守る」政策の構想、日立市への想いを伺いました。
日立市はまるで宝箱のよう
選挙ドットコム編集部(以下、編集部):
宮城県のご出身ながら、日立市のラジオ局の開局に奔走されたとお聞きしました。
田村ひろし氏(以下、田村氏):
はい、出身は宮城県石巻市です。岩手県の一関工業高等専門学校を卒業後、1992年に日立市内の工場に就職しました。
茨城県域のテレビやラジオの放送局がないことを知り、ラジオ局設立の社内起業を目指したのですが、畑違いすぎて許可が下りませんでした。
それでも諦めきれず、開局を目指すため退職。2002年に資本金1円で電気通信工事会社を設立して以来、19年生業としています。その間もラジオ局の開設を目指して活動を続け、構想から12年、2010年2月にFMひたち協同組合を設立しました。
編集部:
そういった地域での活動の中での気づきにより、政治家を志したのですか??
田村氏:
はい、これまで、市議会議員選挙と衆議院議員選挙にチャレンジしています。ラジオ局開局に向けてたくさんの方々にご支援いただき、また会社運営で日々たくさんの方と出会いました。
市民目線・現場目線で「こうすればもっと日立はよくなるのでは」というアイデアを話し合うほどに、行政の仕事の難しさを感じ、同時にやりがいのあるであろうその仕事に自分の身を投じてみたいと思うようになりました。
日立市の人と土地柄にほれこんでいることも理由のひとつです。山、海、川、米、肉、魚、果物と、魅力的な風物がバランスよく揃っています。
また、企業城下町としての高い技術力と、穏やかに暮らせる自然環境が共存しているのもポイントです。
「よそ者」の目で見ると、日立のこういった土地柄はまるで宝箱のよう。関わって31年、地域活動に東奔西走し、今度は日立市の活性化を政治の世界から担っていきたいと活動を続けています。
行政を親しく利用するアントレプレナー教育を
編集部:
「変える、守る」との政策スローガンを掲げられていますね。
田村氏:
今の市政は24年間投票がなされないまま、行政出身の実務に秀でた方々が首長を務められています。この四半世紀の市政において、届けたい想いは皆さんお持ちだと思うのです。
建物耐震化の推進や防災化など評価の高い施策はしっかり「守る」、内輪で回りすぎでは…と感じられる部分はどんどん「変える」。
私は市長報酬の30%削減や市民参加型の行政運営審議会の開催などを提案しています。決められたことを粛々と行うだけでなく、市民にも実感できる前進へのアクションが必要だと考えています。
編集部:
子育て支援などについてはどのようにお考えですか?
田村氏:
0歳からの途切れない子育て支援が必要で、特に幼稚園・保育園の無償化、また近隣の中学校・高校・大学の入試費用の助成に重点的に財源を充当すべきだと考えます。地元で育つことのできる環境を強化したい想いです。
また、子どもたちが自主的に夢を叶えるために申請する助成金の仕組みを作りたいと思っています。「吹奏楽部に入りたいのでフルートが欲しい」「留学して語学力を身に着けるための費用を助成してほしい」といった計画を申請し、金銭的な支援を得てもらうのです。
行政を親しく利用してもらうための一歩であり、一種のアントレプレナー(起業家)教育ですね。社会人として必要な能力だと思います。
編集部:
観光誘致などにはどのような構想をお持ちなのですか?
田村氏:
遊休地を利用した「都市職業公園」や「車の運転練習ができる公園」といった構想を温めています。
職業公園は大型クレーンやトラクターなど重機の操縦、チェーンソーでの切断といった職業体験ができる公園です。海と山と大企業がある日立ですから、一次・二次産業の仕事に実際触れる機会を創出すれば、地元での将来の夢を描きやすいのではないかと思います。
また車の運転練習ができる教習所のような広場を整備すれば、若者や高齢者が運転技術を練習・確認することができ、災害の避難場所を増やすことにも繋がります。ユニークな取り組みですから、市外からも観光客が訪れてくれるでしょう。
観光誘致にはパッケージが必要です。家族や仲間とじっくり滞在して楽しめるよう、アトラクションと観光を組み合わせ、迎え入れる側が頭を使ってプランニングする姿勢で取り組みたいですね。
処理水問題にも時機を逃さず真摯に向き合う
編集部:
期限が迫っている福島第一原子力発電所の処理水問題にも向き合われていますね。
田村氏:
この件に関してはきちんと立場を表明したいです。処理水放出を受け入れるのであれば、風評被害への相応の補償を得られるよう、そして国も日立市も東京電力も未来に進めるよう、時機を失なわず今こそ真摯に向き合うべきです。自分たちの世代で起きたことのかたを付けて次世代に繋ぎたい。同じ志をもっている人は各組織に必ずいます。
まずは、海や大気中のトリチウムを中心とした環境因子をリアルタイム計測し公開する「見える化」が必要だと考えます。
市内5つの海水浴場の水質モニタリング、および大気中の放射線濃度計測などは、安心して日立市に住むための必須条件ではないでしょうか。関連企業の叡智を集めて実現させたいと強く思っています。
日立市と茨城県の観光と食を、安心して心から楽しんでもらえるよう、確実に前進したいです。
「人を笑顔にしたい」それが原動力
編集部:
高専での学生時代はラグビーをされていたのですね。
田村氏:
ええ、そうです。何事にも真正面から取り組む癖は、ラグビー部で主将を務めたからかもしれません。
生徒会にも選出されて活動していたので、忙しい学校生活でした。それでも苦にならず役目を果たせたのは、人に笑ってもらいたいという気持ちが強いからだと思います。
とにかく人を笑顔にしたい、喜びで驚かせたいんです。日立市の良さをどんどん発信して、日立市に関係する人みんなに笑顔になってもらいたいですね。
編集部:
オフはどのような過ごし方をされていますか?
田村氏:
会社運営があるのでオフらしいオフはないですが、今でも母校とは繋がりがあり、プログラミング言語のPython(パイソン)を使って電力消費の測定システムを共同研究したり、学生のインターンを受け入れたりしています。
特にここ最近は、コロナ禍で修学旅行もままならなかった学生たちに、せめて社会活動を見てもらいたいとの想いがあります。
また、できることを増やしたいので、資格取得には積極的に励んでいます。今は30種類ほどの公的資格と22種類の技能資格、産業系インストラクター資格などを取得しています。次世代のエンジニアを1人でも多く育成したいですね。
ラジオに関わっていることもあり、気分転換には音楽を聴くことが多いです。アニメ映画「ONE PIECE」の主題歌「私は最強」を「日立は最強」「みんなと最強」に変え、車の中で熱唱していることも。「さあ、怖くはない、不安はない」という歌い出しにも勇気をもらっています。郷土愛ゆえの熱唱なので、見かけたときはどうか温かく見守ってください(笑)
衆議院議員選挙にチャレンジしたときは、東日本大震災の被災地を舞台にしたドラマ「おかえりモネ」の主題歌「なないろ」に自分を投影していました。その時々で自分の想いを映す歌があるというのは、音楽の深みだと思います。
編集部:
最後にひとことメッセージをお願いします。
田村氏:
工場勤務時代から起業後も含めて、日本の47都道府県すべてを訪れて仕事をしてきました。賑やかな街、静かな街、それぞれに魅力があり、多くの学びを得てきました。そしてそのたびに日立市の魅力に気づかされました。
海外でも東アジアを中心に多くの仕事をしました。インドやベトナムでの工事の際には、未来への希望と弱者への優しさを持っている人々を見て、日本の豊かさと貧しさを同時に感じました。たくさんの出会いが今の私を作っています。
地域行政は、同じ時代を生きる人々の横のつながりを強固にし、次世代へ縦のパスを繋いでいく仕事だと思っています。次世代へ誇りをもっていいボールを渡していけるよう、日立市の皆さんと一緒に走り続けたいと思っています。
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