関東大震災で焦土の東京 神田の一部が奇跡的に焼失を免れた理由と、100年後への教訓は

紙芝居の実物も展示し、自力消火の背景に迫った森田さん。特別展では、新たに制作した紙芝居の動画も上映している=3月、東京都復興記念館

 東京の下町が焦土と化した1923年9月の関東大震災で、奇跡的に焼失を免れた町がある。住民らが一昼夜にわたって行った自力消火で延焼を食い止めた神田区(現千代田区)の神田和泉町と神田佐久間町だ。今も語り継がれる「美談」の裏に何があったのか。そして、当時の人々の献身的な行動を取り上げた紙芝居がなぜ40年代に作られたのか。東京都復興記念館(墨田区)は数々の資料から時代の背景に迫り、教訓を捉え直している。

◆絵画が示す奇跡

 〈この附近一帯は大正十二年九月一日関東大震災のときに町の人が一致協力して防火に努めたので出火をまぬかれました〉

 JR秋葉原駅から東へ約400メートル。小学校に隣接した公園の一角に「防火守護地」の碑が立つ。この周辺で行われた自力消火をたたえる一文が刻まれている。

 その行動がいかに奇跡的なものだったのかは、復興記念館に今も展示されている油彩画「上野公園より見たる灰燼(かいじん)の帝都」に見て取れる。震災を体験した画家による縦187センチ、横543センチの大作だ。タイトルの通り上野公園から俯瞰(ふかん)した被災後の光景が題材だが、赤茶けた焼失地域の中心に延焼を免れた神田和泉町と神田佐久間町が黒っぽい色合いで描かれている。

 四方から火炎が迫る中、その場に踏みとどまった住民たちが不眠不休で消火に当たった結果ではあるものの、記念館の森田祐介調査研究員(49)は指摘する。「努力と根性で町を守ったという精神論で語られるべきものではない。さまざまな物理的な要因が功を奏した、いわばラッキーだった面もある」

© 株式会社神奈川新聞社