阪神を選び、選球眼を鍛えたのは同じ目標のため・鳥谷敬さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(18)

2011年7月の中日戦で適時三塁打を放つ鳥谷敬さん。このシーズンは3割9分5厘で最高出塁率に輝いた=甲子園

 プロ野球のレジェンドに、現役時代やその後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第18回は歴代2位の1939試合連続出場を記録した鳥谷敬さん。プロ入り時に阪神を選んだことと、選球眼の良さを身に付けた理由は、同じ一つの目標のためだったそうです。(共同通信=栗林英一郎)

2003年のドラフト会議で指名され、ポーズをとる早大4選手。右端が鳥谷敬さん。肩を組むのはヤクルトが指名の青木宣親=東京都新宿区

 ▽遊撃手の特性として練習量が多くなるだけ
 高校までは、むちゃくちゃ怠け者でした。家で自主練習をしたことは一回もないです。サボることばっかり考えていました。基本的には怠け者で、練習したくないですし、ゆっくりしていたいです。
 トレーニングに取り組んだのは早稲田大1年の冬ぐらいから。試合に出て、メンバーの練習や新人の練習を1年間やっていたら、6キロか7キロぐらい体重が減ってしまった。体重を戻すために、しっかりしようというところから始まりました。野球部寮の目の前が室内練習場で、そこにはウエートトレーニング(の器具)がある。24時間いつでも使える状態だった。寮の食事の時間が決まっていたので、食事を取ってから夜にやっていました。本当はトレーニングしてから食事をしたかったですけど、それが逆になっているから(周囲からは)夜遅くまでしていると思われた。
 大学へ入って時間がたくさんあり、寮で環境もそろっていたのと、和田毅さん(早大の1年先輩)らプロ野球選手になる人たちを目の前で見られたのは、すごく大きい。明確な目標ができたので、そこに向かうっていう流れです。
 大学3年の時、プロのキャンプに参加する行事があり、和田さんと一緒にダイエー(現ソフトバンク)に行ったんです。井口資仁さんとか松中信彦さん、小久保裕紀さん、秋山幸二さんらを間近で見られた。これぐらいの練習じゃないと、プロの世界では食べていけないなというのを肌で感じた。そこから練習の質を大事にしました。
 やらないと不安なので、しっかりトレーニングして試合に臨むという形はプロでも続けました。ショートというポジションもあって、おろそかにできない部分がたくさんある。外野手と内野手とで守備の比重も違いますし、打順の争いがあるので打つこともやらなきゃいけない。動けなくなることも怖いからランニングしなきゃいけない。ポジションの特性として練習量をこなさないと駄目というだけ。自分では、あまり頑張っていたという感じではないです。

2013年3月、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のオランダ戦で、一回に先頭打者本塁打を放つ鳥谷敬さん=東京ドーム

 ▽阪神を選んだ決め手は土のグラウンド
 (阪神入りを決めたのは)時間的なことは覚えていないが(東京六大学)リーグ戦の途中だった気がする。たぶん阪神が優勝争いしている中だった。実際に迷っていました。土のグラウンド(本拠地の甲子園球場)が比重としては大きかった。当時は早稲田のグラウンドは土でした。人工芝の神宮球場で土日に試合があり、その時の体の負担や疲れ具合が普段とは違った。
 あとは日米大学野球で(米国遠征中に)メジャーの試合を見に行っていたこともあって、どこかのタイミングで米大リーグに挑戦したいっていう気持ちもあった。それを考えると、人工芝じゃなくて土でやった方がいいと。それが一番大きな要因ではあります。
 正直、人工芝でやっていたら、めちゃくちゃ楽だったと思いますが、土のグラウンドを選んだことによって、フリーエージェントでメジャーに挑戦というところまではできた。(大リーグ入りは)かなわなかったですけど、そういう意味では阪神という選択は良かったかな。

 

2017年5月、前日に死球で鼻骨を骨折した鳥谷敬さんは巨人戦で顔に防具を着けて代打で出場。連続試合出場記録は18年5月に止まるまで歴代2位の1939試合に伸びた=甲子園

 ▽出塁率でメジャーに挑戦
 自分の残した成績で誇れるものは四球ですね。長距離バッターじゃないので、基本的に警戒されたり敬遠されたりじゃなく、自分で取ったものですし、ヒットとフォアボールは一緒と考えていた。それで千を超えている(通算1055四球)のは、ある程度自分の役割を果たせたと思います。
 最初は(1シーズンに)100個ぐらい三振していましたし、大きいのを打てると思っていた。20本塁打したこともありますけど、やっぱり長距離打者の打球の質を見た時に、ああこれでは勝負できないなというのがあった。練習の時からストライクとボールのジャッジをして、見逃した球がどちらなのか捕手に確認しながら、常にボール球に手を出さないことを考えてやるようにしていた。その分、球も引き寄せなきゃいけないし、少しずつ(選球眼を)つくっていきました。
 自分としてはメジャーに行くために、どうしなきゃいけないかという発想でした。ホームランを打てれば一番いいんですけど、実際に向こうで自分が勝負するには、やっぱり出塁率が求められる。内野手で守備がそこそこできて出塁率があってというのだったら、チャレンジできるんじゃないかと。そこはもうかなり意識して、思い切って打ちにいきたくても、自分の心を抑えながら無理に強引にいかないようにとか、そういう練習はキャンプからずっとやっていました。

 

2021年2月、ロッテの春季キャンプで守備練習する鳥谷敬さん。このシーズン限りで現役を引退した=石垣

 ▽環境や待遇、全てが違った阪神とロッテ
 (2020年に)ロッテに移籍して、阪神の良さがすごく分かった。新型コロナウイルス禍でお客さんが入れない、2軍に関してはマスコミもお客さんも全くいないっていう形で試合をしていたので。
 どっちが良いというのはないですけど、メディアで言えば、阪神だったらメディアを制限するわけで、ロッテは広報がカメラを回してユーチューブに上げるとか、阪神だったら考えられないことが普通に起きますし、それぐらい発信を止める側と発信していく側の違いも感じました。
 お客さんがいない時のモチベーションの上げ方の難しさとか、後から大事なところの代走で出たり守備固めにいったりとか、したことのなかった経験もできた。ロッテと阪神の違いというよりは、自分の中で環境や待遇も全然違うし、全部が違ったので、むちゃくちゃいい経験だった。
 ロッテが井口監督でなかったら、たぶん常にスタメン、スタメンって考えましたけど、自主トレで(現役時代の井口氏と)一緒にやっていましたし、何とか監督の役に立ち、求められる仕事をしたいという思いがあった。体の動きとか、そういうのはスタメンで出た時の方がいいのは当然分かっていました。でも、それではチームとして先がないので、その辺は自分でしっかり受け止めていました。

 

インタビューに応じる鳥谷敬さん=2022年1月撮影

 ▽野球人口が増えれば、レベルは必ず上がる
 野球を教えるというよりも、どちらかというと、野球をするかしないか、他のスポーツと迷っている子どもたちに野球という選択肢を与えたい。家庭環境や、いろんな理由で野球を続けるかどうか悩んでいるとか、そういうところの手助けで野球の全体の数を増やすことに携わりたい気持ちはある。
 数を増やした方が野球界のレベルは間違いなく上がると思う。今、名球会のメンバーは40代、50代がめちゃくちゃ多い。この世代は野球をやっている人が多いんですね。数が多ければ必ずレベルはアップする。そっちの方が今後に関しては重要じゃないかな。自分が与えられる影響を考えると、コーチとして何人かに教えるよりも、野球界に対して還元できると思っている。例えば中学を卒業して高校に入り、軟式から硬式に変わって壁にぶつかってやめるって選択肢がなくなるかもしれない。
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 鳥谷 敬氏(とりたに・たかし)埼玉・聖望学園高―早大から自由獲得枠で2004年に阪神入団。同年9月から18年5月にかけて歴代2位の1939試合連続出場。名球会入り資格の2千安打は17年9月に到達。20年にロッテへ移籍し、翌年限りで引退。遊撃手で6度のベストナイン。ゴールデングラブ賞は三塁手での1度を含む5度。13年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表。81年6月26日生まれの41歳。東京都出身。

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