「帰ってこないなんて…」 京都・祇園暴走事故11年 遺族、今も耳に残る最後の言葉

事故から1年後に安置した地蔵を見つめる信ケ原さん(5日午後、京都市左京区・檀王法輪寺)

 京都市東山区・祇園で軽ワゴン車が歩行者らをはねて19人が死傷した事故は12日、発生から11年を迎える。最愛の人を失った遺族は、今も喪失感と共に生きている。その悲しみに寄り添い、事故の記憶を後世に伝え続けようと、現場近くに住む男性僧侶は今年も自坊で鎮魂の祈りをささげる。

 大阪府豊中市の岸本貞巳さん(80)は、犠牲となった妻真砂子さん=当時(68)=と交わした最後の言葉が耳に残っている。

 旅行が好きだった真砂子さんはあの日、自宅の玄関先で、「帰りが遅くなるから炊き込みご飯を作って」と岸本さんに伝えた。満開の桜を楽しみにしていた妻を、「分かった」と短い言葉で送り出した。それが最後の別れとなった。「遅くなるって言っていたが、帰ってこないなんて…」

 行き場のない喪失感が続いたが、5年前に遺骨を納骨し、自分の中で少しずつ「区切り」を作ってきた。最近、真砂子さんが時折、夢に出てくるようになったという。岸本さんは懐かしそうな表情で、「なぜか分からないけど、妻とご飯を食べたりたわいのない話をしたり。目が覚めると『また会えたな』って」と語る。

 事故から11年たった今、不安に感じるのは、妻や多くの人の命を奪った事故の惨禍が忘れ去られること。華やかな祇園の街に、慰霊碑など事故の記憶をとどめるものは何もない。「世間は事故を覚えているのかなって、ふとした瞬間によぎる」。岸本さんは寂しげに話す。

 事故現場から北約600メートルにある檀王法林寺(左京区)の住職信ケ原雅文さん(68)は、今年も遺族たちの悲しみに思いを寄せる。

 事故直後、犠牲者の中に、よく知る寺の檀家(だんか)がいた。観光を楽しもうと京都に来た人が、急な事故に巻き込まれたと考えると、いたたまれない気持ちが込み上げた。一周忌に合わせ、犠牲者を供養する地蔵を自身の寺に安置し、それ以来、毎年12日に境内で法要を営んできた。

 法要には、地元住民のほかに、境内にあるだん王保育園の園児も参列する。忘れてはいけない事故だと伝えるとともに、交通安全の意識を育むのも役目だと考えているからだ。

 信ケ原さんは「歳月がたち、遺族にも京都への足が遠のく人がいるはず。だからこそ、何年たっても法要は必ず続ける。絶対に風化させてはいけない事故だから」。そう強く念じ、12日に手を合わせる。

 信ケ原さんは、遺族一人一人が今どうしているか、詳しくは知らない。でも、岸本さんは法要が続いていることを知っている。「毎年法要をしてくれて、京都の人たちが事故を忘れていないと伝わっている。ありがたい」と話す。

岸本さんは自宅の仏壇で毎朝、妻の真砂子さんに手を合わせる(大阪府豊中市)

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