「自分の家っていいね」4年半も仮設住宅暮らし 家族4人の再出発 自宅は大規模半壊 戻るに戻れず…

西日本豪雨で被災 三浦千穂 さん(47)
「長い間、住まわせてもらって、ありがたい気持ちでいっぱい」

広島県内で152人が犠牲になった西日本豪雨から4月で4年9か月。県が整備した仮設住宅には、これまでに延べ1350世帯が身を寄せていました。被災者の生活の再建が進み、3月、最後まで残っていた坂町の仮設団地の解体が始まりました。

ビデオ撮影する 三浦弘 さん(48)
「引っ越しの日が来ました、いよいよ。1618日、被災してから仮設暮らし…」

きょうのテーマは、自宅に戻れず、仮設住宅で4年半を過ごした家族の新生活です。

小林康秀 キャスター
「ことし7月で西日本豪雨の発生から5年。あっという間だなという人もいれば、まだまだ5年だという人もいて、思いはさまざまですよね」

青山高治 キャスター
「当時の状況や環境などによって感じ方は大きく違うでしょうね」

河村綾奈 キャスター
「まだまだ心の中でも前に進めないなという人がいらっしゃるだろうなと思います」

小林 キャスター
「広島県では、自宅からの避難を余儀なくされた人たちの仮設住宅を整備して、延べ1350世帯が生活していました。ことし2月、最後の1世帯の退去が完了して、県や市町、県内での仮設住宅暮らしが解消されたということです。家族4人で4年半の仮設住宅生活を経験した家族を取材しました」

◇ ◇ ◇

三浦千穂 さん(2023年4月)
「このショベルカーがいるあたりが、わたしたちが住んでいた仮設住宅があったところ」

西日本豪雨で被災した 三浦千穂 さん(47)です。三浦さんは、家族4人で4年5か月の間、仮設住宅で生活しました。

三浦千穂 さん(2019年1月)
「自分たちで洗浄・消毒まで済ませたが、今はこういった床や壁など断熱材もすべてはいで、骨組みだけの状態にしている」

三浦さんの自宅は、坂町 坂地区の川沿いにありました。土石流が発生したときは家族4人で避難していて無事でしたが、窓ガラスは突き破られ、1階には大量の土砂がなだれ込み、大規模半壊と判定されました。

三浦千穂 さん(2019年1月)
「今まで大事にしていた生活に使っていた物を踏み台にしながら家の中まで入って、状況を確認した。災害の次の日に自宅を見たとき、もうこの家には住むことができないと主人と涙を流しながら話した」

三浦さんの気持ちを前向きに変えたのが、日差しが照りつける中、連日、土砂のかき出しを手伝ってくれた知り合いやボランティアの存在でした。

三浦千穂 さん(2019年1月)
「友人や娘の同級生の親、知らない方までが助けに来ていただいて、少しずつ、もしかしたら住めるんじゃないかなというのが見えてきた」

しかし、自宅に戻るのには時間がかかりました。

自宅の上流200メートルに建設予定の砂防ダムや、周囲の復旧工事が進まないことには、生活を再開できないという気持ちがあったからです。

三浦千穂 さん(2019年6月)
「雨が降るとやっぱり恐怖心もあるし、(砂防ダムの)完成に向けて、少しずつでも本当は早く進めてもらいたい気持ちはあるけど…。ここがもう少し安全な場所になって、だいじょうぶになって戻ってきた方がいいと思っています」

三浦さんの家の近くの砂防ダムは、災害から2年4か月が経ち、完成しました。ただ、自宅の周りの復旧は完了していなかったため、再建の具体的なめどは立てられないでいました。仮設住宅を必要とする人も減り、団地が集約されたこともあり、三浦さん一家は3か所の住宅で暮らしていました。

そして、去年の暮れ…。

ビデオ撮影する 三浦弘 さん(2022年12月)
「おはようございます。2022年12月10日、引っ越しの日が来ました、いよいよ。1618日、被災してから仮設暮らし…」

ついに仮設住宅を出る日を迎えました。

千穂さんの夫・弘さん(48)は、最後の日の朝、カメラを回していました。長い間、支援していたボランティアの人たちも引っ越しの手伝いに駆け付けました。自宅に戻ることができたのは、実に4年5か月ぶりでした。

リフォームが終わった家の周りでは長い間、手つかずだった道や川の護岸の舗装が終わっていました。川幅は以前より少し広くなったそうです。

三浦千穂 さん(2023年4月)
「たくさんの人の力を借りてお手伝いいただいて、リフォームをして戻ってきて、元の生活、元の場所でできるのは、みなさんの力があったから。本当にありがとうございましたというのは何回言っても足りないくらい」

かつて土砂で覆いつくされていた1階は、一家団らんの場所になっています。被災した現実をつぶさに記録したアルバムには、こんなメモも入っていました。

三浦千穂 さん
「引っ越しって何回もしたくないって思っていたけど、やっと帰れたねって気持ちでいっぱいでした」

長女の葉鈴さん(18)は、高校と大学の2度の受験を仮設住宅で経験しました。外や家の中の音がよく聞こえる仮設住宅での勉強はたいへんなことが多かったといいますが、春からは志望していた大学の薬学部に進学しています。

三浦葉鈴 さん
「災害が起きたちょっと後に、災害にあったとか、仮設に住むからって言い訳にせず、志望校を落とさずにがんばろうって決めたので、大学受験でも、それを思ってがんばった」

小さな仮設住宅での生活は、家族の距離を縮めました。再建後の新しい間取りは、自然と家族全員が一緒に過ごせるようにしました。

三浦千穂 さん
「(仮設住宅は)部屋の数もなかったし、みんなでご飯を食べて、みんなでそこにいるしかなかったからか、帰ってきてもと4人でこうやって過ごす時間が思ったよりも多い」

三浦弘 さん
「テーブルを囲むのは仮設の名残りかもしれんね」

三浦千穂 さん
「ここに帰ってきて、家を直して、『自分の家っていいね』って言葉を何度も言った」

自宅の近くでは、被災した住宅が取り壊され、さら地になった場所もあります。砂防ダムができても、不安は完全にはぬぐえません。

三浦千穂 さん
「また梅雨の時期には雨が降る、毎年のように全国いろいろなところで。避難しないといけない、備えないといけないというのは、自分自身も、それぞれが思っておかないといけない」

被災した場所での生活の再建―。三浦さんは、あらためて早めの避難や地域での声かけを心がけたいと語りました。

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青山 キャスター
「ただでさえ、神経質になる受験勉強…。しかも2回あって、その中でもちろん、コロナ禍もあって、その4年半の間で乗り越えてきた家族の距離をテーブルを囲む姿に感じましたね」

コメンテーター 木下ゆーき さん
「娘さんにとっては思春期のころに仮設住宅での暮らしで、わたしたちでは想像できないぐらいのいろんな我慢があったと思いますが、それでも『仮設に住むからといって言い訳せずに志望校を落とさずにがんばろうと決めた』と言っていました。家族のサポートがあって、そういうふうに思えるんだと思いますが、あらためて三浦さん家族の関係性があったからこそ、この長い期間を乗り越えてこれたのかなと感じました」

河村 キャスター
「不安な日々が続いていた中で前向きに過ごされていたと思いますが、災害の記録をつぶさに記録しているぶん、きっと地域の人や子どもたちにも伝えられることもたくさんお持ちなんだろうと思いました」

小林 キャスター
「三浦さんは、元の場所に戻ることをあきらめかけたこともあったそうですが、その状況を支えたのが、知り合いやボランティアのみなさんだったと。人のつながりに本当に助けられたそうです。これからまた梅雨の時期が来ますから、災害の危険度の確認やさまざまな準備を今のうちにしておくといいのではとあらためて感じました」

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