ニューロティカ×LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERS - 新宿ロフト出演回数最多バンドによる渾身企画第6弾は、昭和のプロレスを彷彿とさせる闘魂の異種格闘技戦!?

昭和のロックスターが初対面の人と距離を縮める方法

アツシ:(ソファに座れず、用意した椅子を引きずりながら)今日はすみません。数日前にぎっくり腰をやっちゃったもので…。

01:あららら。何か重い荷物を持ったんですか?

アツシ:お菓子屋の仕事で、缶コーヒーを3ケースまとめて持とうとしたらやっちゃいまして。

01:僕も20歳の頃からずっとヘルニアで、身体を動かしたり忙しくしてると大丈夫なんだけど、じっとしてると腰が痛くなるんです。

アツシ:治療は?

01:いろんな所で診てもらったけど、結局、大事なのは散歩かな。散歩するのは凄い好きなんです。

──バンドマンで腰に爆弾を抱えているのは厄介ですね。

01:そうなんですよ。しかも僕のベースがまた特に重くて(笑)。

──今日はよろしくお願いいたします。お二人の接点がまるで見えないんですけど(笑)、どんなきっかけで知り合ったんですか。

アツシ:僕の中では2パターンありまして。1パターンはSHIBUYA-AXでやったSCAFULL KINGのライブを観に行ったとき、ライブ中に機材のトラブルがあったんですよ。そしたら市川くん(LOW IQ 01のこと)が舞台袖から颯爽と現れて、いきなり演奏し始めて。

01:ああ…確か急に呼ばれたような記憶があります。

アツシ:エッ! そんなことができるの!? って凄い驚きました。オシャレ系な売れ方をしたバンドはやっぱり違うなと(笑)。純粋に格好いいなと思いましたね。

01:SCAFULLが活動停止して何年か経った後のライブですね。僕は長髪で、オレンジ色のニットを着てた覚えがある。

アツシ:あれはホントにびっくりしたし、ステージを観て驚いた10大出来事の一つでした。市川くんの演奏も凄く自然でね。

01:SCAFULLはファミリーみたいなものだし、よくゲストで一曲呼ばれたりしてたんです。トラブルが起きて現場があたふたするのもなんだし、間を繋げたかったんですね。僕は出たがりなので(笑)。

アツシ:そのおかげでステージも客席も何一つあたふたしてなかった。あたふたしてたのは僕だけ(笑)。

──それがパターン1。パターン2は?

アツシ:場所は忘れちゃったんだけど、GAUZEのヒコにBACK DROP BOMBのライブを観に行こうと誘われたんですよ。

01:ジャンルが見事にバラバラですね(笑)。

アツシ:ライブを観て、打ち上げで飲んでたときに市川くんが来て、僕に何か歌を唄ってるの。面識はあったけど対バンしたこともないのに僕に何か唄ってくれてるなあ、これなんて曲だろう、凄くいい曲だなあ…と思ったら、「DRINKIN' BOYS」だった(笑)。あれは嬉しかったね。

01:なぜ「DRINKIN' BOYS」を唄っていたのかと言えば、その昔、『ROCKIN' DEX '88』というバンド名鑑みたいなビデオを擦り切れるほど見たから。あのVHSにニューロティカの「DRINKIN' BOYS」が入っていたんです。昔のブッチャーズとかも入ってて。あのビデオはアイゴン(會田茂一)の家でよく見たなあ。それはさておき、僕のパターンを言うと、あっちゃんを紹介してくれたのは意外にもSCAFULLの田上(修太郎)なんです。SCAFULLじゃなくFRONTIER BACKYARDの打ち上げで、田上が「あっちゃんを呼ぼう」と急に言い出して。呼んだらちゃんと来てくれて、そこでちゃんと話したのが初めてでした。田上が「あっちゃん、いっちゃんにちょっかい出しちゃダメだよ!」ってナゾの注意をしていたのを覚えてます。あと、時代はまだガラケーで、あっちゃんにガラケーのエッチな画像をいきなり見せられて(笑)。

──初対面だというのに(笑)。

アツシ:昭和のロックスターはエッチな写真で距離を縮めようとするんです(笑)。

01:もちろん僕はそれ以前からニューロティカのことは知っていました。最初に知ったのは80年代中期、1986年頃かな。当時、ニューロティカは『Oi of JAPAN』というオムニバスに参加していましたよね。Oiパンクってイメージはいかついけど、みんなで唄えるポップでキャッチーな音楽性だった。ニューロティカにもそういうシンガロングやコール&レスポンスができる親しみやすさが曲にありながら、ドラムが凄く速かったんです。だからニューロティカって音は凄くポップなのにBPMはハードコアだよね、って仲間内で話してましたね。海外で言えばTOY DOLLSやADICTSといったバンドがハードコアの人たちと一緒にやるみたいなニュアンスが、当時のニューロティカにはあったと思います。90年代にメロコアが台頭する前、80年代中盤にポップなメロディと速いビートで駆け抜けるバンドはたくさんいたし、それがベースとなり積み重ねとなって後にメロコアのムーブメントが起きたんだと思います。日本ではニューロティカやKENZIといったバンドがその種を蒔いていたというか。

アツシは“ポンコツ先輩”、NAOKIは“格好いい先輩”

──あっちゃんはイチさんの音楽をどう捉えていたんですか。

アツシ:SAのNAOKIがタワレコでやってた配信番組(『BARボイラールーム』)で市川くんと共演したときに、CDをいただきまして。それがまあオシャレと言いますか…こういう音楽もちゃんと勉強して聴かなきゃいけないということで、家のお菓子屋でもラジカセで聴いてましたよ。お客さんが来たときにそういうオシャレな音楽を聴いていると自慢もできますから(笑)。午前中は医者帰りのお爺さん、お婆さんが多いから別の音楽を流してましたけど、午後の若い人が来る時間帯はずっと市川くんのCDをかけてました。

01:まあ、僕自身は自分の音楽を1mmもオシャレとは思わずにやっているんですけど(笑)。そのNAOKIくんの配信番組のことはよく覚えています。NAOKIくんとちゃんと話したのはそれが初めてで、一緒に「FALLIN' FALLIN' INTO YOUR HEART」をセッションでやったりして。1組目のゲストがあっちゃんとナボさんで、あっちゃんに「ポンコツ先輩、今日はよろしくお願いします!」って挨拶したら大笑いされて。

アツシ:僕が「ポンコツ先輩」、NAOKIが「格好いい先輩」って呼ばれてね(笑)。

01:そうそう。NAOKIくんは「ずっとスタイルも変わらず格好いい先輩」(笑)。そんな軽口を叩いてもあっちゃんが優しいのは百も承知だし、僕はただ甘えさせてもらっているというか。「これ以上言っちゃまずいな」とか、そのへんの嗅覚は心得ていますから(笑)。

アツシ:相手の懐に入るのが上手いね。オヤジ殺しだ(笑)。年上のバンドマンだと誰と仲がいいの?

01:仲良くさせてもらっている人たちはたくさんいますけど、その中でも特に仲が良いのは自分より4つくらい上の人たちですかね。渡辺俊美くんとか、佐藤タイジくんとか。もちろんNAOKIくんも。

アツシ:違う世代から刺激をもらえることって多いよね。僕もナボちゃん、カタルと一緒にやって以降、POTSHOTやGELUGUGU、ロリータ18号や氣志團といった下の世代のバンドからいっぱい刺激をもらえたから。

──ニューロティカのメジャー・デビュー時のメンバーがごっそり抜けたのが1995年で、それと入れ替わるようにイチさんのSUPER STUPIDが頭角を現してきた印象があるんです。MURPHY'S LAWの来日ツアーでSUPER STUPIDがシェルターに出演したのが確か1995年6月だったと思いますし。

01:80年代末期のバンドブームがひと段落して、90年代に入るとクラブシーンが活気づくんですよね。ライブハウスも冬の時代と言われて、ミクスチャーやラウドロックが世界的に主流になってきたのがその90年代半ばの交差点だったのかなと。僕らも当時はお客さんが10人しか入らない中でライブをやっていて、それならそれで自分たちが本当にやりたいこと、好きなことだけをやっていこうと思って。事務所に所属していたわけじゃないからノウハウも知らないし、ライブをやるにもツアーを組むにも自分たちで手探りでやっていくしかなかった。対バンをして仲良くなって、コンタクトを取り合って。そうして90年代の初頭から互いに切磋琢磨しながら形作られてきたのが“AIR JAM”と呼ばれるシーンだったんです。

──この『Big Wednesday』の対バンとしても出演したPOTSHOTのRYOJIさんが、「世代的にバンドブームの時代の音楽は大好きだったんですけど、その後、少し大人になってきて、USインディーズ・シーンとかも聴いてたので、メジャーのレコード会社の関わり方を含め、あの終わり方は格好悪いなと正直思っていたんです」と話していたんです。つまり自分たちがバンドをやるにあたっては、あっちゃんたちの世代を反面教師にしていたということなんですが、そういう部分はイチさんにもありましたか。

01:いわゆる当時のバンドブームに対するアンチテーゼはありました。僕は中卒でずっと音楽を好きでやっていたけど、中学のときに楽器をやってなかった奴が高校の文化祭でコピーバンドをやるようになるんですよね。そういうのを見て違和感を覚えたのは確かです。僕の知るバンドというのはもっとコアでマニアックな存在で、人からちやほやされるようなものではないと思っていたから。少なくとも高校生がスコアブックを見ながら片手間でやるようなものじゃないと思ってましたね。僕は当時から音楽を生業にできたらどれだけ幸せだろうと考えていたので。ちょっとでも音楽で生活できたらいいなと思ってたし、敷居の高い新宿ロフトに出るのがあの頃の憧れでしたね。ロフトやシェルターは当時のストリートシーンを象徴するライブハウスだったと思うし。

──ライブハウス冬の時代に入りつつある1991年オープンのシェルターはともかく、バンドブーム真っ只中のロフトでは業界の人間がバンドの青田買いをしていたと聞きますね。

01:当時のバンドのライブ映像を今はYouTubeでも簡単に見れるけど、インディーだったバンドが事務所に入ったりすると会場が急にホールや市民会館みたいになっちゃって、身の丈に合ってない感じになりますよね。バンドも関係者もブームになった途端に勘違いしちゃったところがあったと思うし、実際のところバンドブームって短命だったじゃないですか。そういうのもあって、僕はバンドを始めた頃から10年経っても聴ける音楽をやりたかった。もちろんみんなそのつもりでやってると思うんですけどね。

ライブハウスから次のステップへの選択肢の違い

──あっちゃんはあのバンドブームの渦中にいて、どんなことを学びましたか。

アツシ:当時のウチの事務所は不動産会社をやってたオヤジが社長で、「俺が面倒見るよ」って感じで事務所を始めてね。その社長とスタッフが2人、メンバーが5人だから計8人の事務所だったわけ。そこで問題になるのが、みんな一人ひとりに生活があるってことで。メジャーに行くのは僕一人だけ反対だったんだけど、それも社長に「あっちゃん、よく考えてみてくれよ。みんなにも生活があるんだから」って言われちゃうと「わかりました」って答えるしかない。僕はどんな仕事が来ても「わかりました」って返事をするタイプで、断ることはまずなかったかな。それが普通だったし。だからこれは市川くんの発言を否定するわけじゃないんだけど、僕らがライブハウスから市民会館へ行ったのは行かなくちゃいけない段取りがあったからなんだよね。事務所8人の生活があるっていう。

01:そういう事情もあったんでしょうね。

アツシ:それと、当時は冷やかしで観に来た人たちもいたんだろうけど、ホールみたいな場所でライブをやっていたからこそ今も残っていられるのかな? っていうのはある。もちろん僕はライブハウスが好きだったし、市民会館みたいな場所は苦手だったけど、少ない動員なりにも全国の市民会館を回れていたのが結果的に今の財産になっているとも思う。10年くらい前からラフィンノーズと『タンブリングツアー』をやるようになって余計にそう感じるね。ラフィンも僕らもずっと地方の市民会館を回ってたし、当時観に来てくれてた人が今も応援してくれてるっていうのは絶対あるよね。

──イチさんは自分がやりたくない仕事をスタッフのために引き受けるようなことはありますか。

01:全然ないですね。わかりやすく言えば僕は個人経営で、良くも悪くも全部自分に跳ね返ってくるだけなので。僕らの世代は大人に頼ることなく、自分たちで事務所を立ち上げる奴が多いんです。BACK DROP BOMBがiniを、ハイスタがPIZZA OF DEATHを、BRAHMANがtactics recordsをそれぞれ立ち上げたり。僕らも青田買いみたいなものには遭いましたけどね。自分たちで朝一で市場へ行って仕入れをする自営業のスタイルだったのに、畑違いの人間が急に現れて「俺が面倒見るよ」と言ってきたり。“AIR JAM”シーンも一つのムーブメントになって、インディーズレーベルが乱立した90年代後半にはそんなことも起きたけど、僕らは一貫してストリートシーンに身を置いていたのでブレることはありませんでした。あと、僕らの世代があっちゃんの世代と違ったのは、市民会館の代わりにチッタやクアトロといったオールスタンディングのハコがオープンしたこと。それまではライブハウスの次のステップとして椅子席のホールしか選択肢がなかったけど、僕らの世代はオールスタンディングの大きめのハコがすでにあって、そこならモッシュやダイブもできた。そういう違いはありますよね。ただ、どこでライブをやっていようとお客さんの音楽離れって絶対にあるんですよね。結婚して子どもが生まれればどうしても家庭優先になるし、自分の趣味にお金を注ぎ込めなくなる時が必ず来る。こうして音楽を長く続けていれば動員が落ち込む時期があるのは避けられないことだけど、そのあいだでもコツコツと地味に音楽を続けることが大事なんです。だから僕はあっちゃんを尊敬しているんですよ。ある意味、インディー界のカリスマじゃないですか。

アツシ:いやいやいや……。

01:二足の草鞋の先駆者だし、バラエティ番組にもよく出てるし、今や八王子の顔じゃないですか。昔は八王子って言えば都心から離れた東京の田舎扱いでしたよね(笑)。その昔、初めて八王子に行ったときはびっくりしましたからね。法政大学の多摩キャンパスでアイゴンが青ジャージってバンドでベースを弾くってことで観に行こうとして、八王子の駅からバスに乗ったら車窓から牛が見えたから(笑)。同じ東京の景色とは思えなかった(笑)。

アツシ:八王子と新宿じゃ、天候も気温も全然違うからね(笑)。

昭和のプロレスを思いきりやりますよ!

──バンドなり音楽を長く続ける秘訣はありますか。

アツシ:楽しいことを自分なりに見つけて、それをお客さんと共有するのが一番かな。60間近になってもまだそんなバカをやってキャッキャしてるのが自分でも笑っちゃうけど。だけどロックやパンクのおかげでまだキャッキャキャッキャできてるからいいのかなと。

01:あっちゃんたちのような80年代を駆け抜けた諸先輩方の多くは、音楽性の違いで解散したり活動休止していますよね。アルバムの1枚目、2枚目までは初期衝動で突っ走って、3枚目で変わる…CLASHで言えば『LONDON CALLING』で変化して、『SANDINISTA!』でまた違う次元へ向かうみたいなパターンがありますよね。つまり3枚目でちょっとつまずくというか、無理に変化させようとしてしまう。それなら曲作りに関してあまり悩まないほうがいいのかなと思うんです。もちろん最先端の音楽にアンテナを張るのは凄く大事だけど、そのバンドの持ち味ってやっぱりありますからね。それなら曲作りで悩まずに自分たちらしさを追求するべきなのかなと。まあ、あっちゃんを見てるとへこたれる必要なんてないのかな? とも思うし(笑)。あっちゃんは僕ら後進のために傷だらけになりながら盾になってくれてるところもあると思います。

──そりゃぎっくり腰にもなりますよね(笑)。

アツシ:いやあ、僕は好き勝手に生きてきただけだから。後輩のために役に立とうなんて考えたこともないし。同年代のバンドも上の世代のバンドもみんなそうだよ。みんな自分たちが楽しむためにバンドをやってるし、楽しくやってるバンドしか見てないし。バンドを続けるために大変なこともあるのかもしれないけど、僕はそういう大変なことをあまり大変とは思わないタイプだね。バンドを長く続けるには、強いて言うなら健康第一。何かやってる?

01:いえ、特に。さっきも言ったように散歩する程度です。昭和の先輩たちはアルコールをメインに破天荒な人たちが多くて、僕も酒は好きだけど、僕らの世代はステージを長く続けるためにアスリートっぽい感じになってきてる気がします。BRAHMANのTOSHI-LOWやcocobatの坂本くん(TAKE-SHIT)みたいに身体をバキバキに鍛えてみたりとか。

──アスリートと言えば、イチさんの楽曲は昔からプロレスと縁が深いですよね。古くは棚橋弘至選手がSUPER STUPIDの「DO IT MY SELF」を入場曲に使ったり、柴田勝頼選手の入場曲「TAKEOVER」を作曲したり、新日本プロレス主催『G1 CLIMAX 29』のテーマソングに「SHINE」が選ばれたり。

01:小学生の頃にプロレスが大好きで、本気でプロレスラーになりたかったくらいなんです。身体がちっちゃかったのでなれませんでしたけどね。佐山聡が出てきた辺りからジャッキー・チェンが好きになり、そこから80年代に入ってウチの兄貴の影響でパンクロックにどっぷりとハマって…。自分の中ではプロレスもジャッキー・チェンもパンクロックもエンターテイメントという一本の線で繋がってるんですよね。

──あっちゃんは今日、オカダ・カズチカ選手の「RM10th」Tシャツを着ていますけど。

アツシ:僕はアントニオ猪木さんから入って、新日をずっと追いかけていました。格闘技もキックも全部好きですね。

──ロックと格闘技の共通項ってありますか?

01:やっぱり侘び寂びとかストーリー性じゃないですかね。猪木さんが国際軍団を迎え撃つときの怒りはパンクそのものですよ(笑)。怒れば怒るほどやる側も見る側も燃えるっていう。

──今回の『Big Wednesday』ほど客層が被らない回もないと思いますが、どちらかがどちらかのステージに乱入する画も想像しづらいし、一体どうなるんでしょうね?

01:まあ、乞うご期待ということで。でもさっきも言ったようにニューロティカは後のメロコアの礎を築いた先駆者という捉え方もできるし、僕らのお客さんも凄く楽しめると思います。仮に知らなくてもライブを観れば身体が自然と動くだろうし、ニューロティカのお客さんも僕らを観て「なんだこいつらは!?」と感じてくれてもいいし、互いのオーディエンスが互いの気持ちをトレードできる場になればいいなと思います。

──新宿ロフト最多出演のバンドと、下北沢シェルター特有のオルタナティブな匂いを持ち続ける両者が対バンするので、ロフトとシェルターの代理戦争みたいな構図も個人的には感じるのですが。

01:確かに。世代的にもそうですよね。あっちゃんは小滝橋通りにあったロフトからの常連だし、僕はシェルターの立ち上げ当初から出ていたので。

──では最後に、『Big Wednesday vol.6』へお越しになるお客さんへ一言ずついただけますか。

アツシ:今日は凄く楽しい対談で、とても勉強になったし、いろんな話が聞けて面白かったです。今日の対談はまるで異種格闘技みたいな感じだったけど、今度の対バンもこれ以上に面白い異種格闘技戦になると思うので、皆様ぜひとも歴史的瞬間を目撃しに来てください!

01:相手が他ならぬあっちゃんなので、昭和のプロレスを思いきりやりますよ!(笑) よろしくお願いします!

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