バルセロナで「大失敗」…でも愛さずにはいられない6人

現在世界有数のスーパークラブであるバルセロナ。もちろん多くのスターが所属していたが、そこで求められる基準に達さなかった者も多かった。

ただ、たとえピッチ上でプレーできなくとも、そのパフォーマンス以外で愛された選手もいた。今回は『Planet Football』から「バルセロナで愛さずにはいられなかった6名の選手たち」をご紹介する。

ホセ・マヌエル・ピント

ゴールキーパーというよりもプロレスラーやスティーヴン・セガールのような風貌をしていたホセ・マヌエル・ピント。2008年にバルセロナへと加入し、ジョゼップ・グアルディオラの下で黄金時代の始まりを経験した。

常にビクトル・バルデスのバックアップとしてプレーしていたが、その立場にもある意味満足しているようにも見えた。ドレッシングルームでも盛り上げ役に徹し、リオネル・メッシとも親友であった。常にベンチから相手の選手たちを挑発し、審判に抗議し、レアル・マドリー戦では出場すらしていないのにレッドカードを受けた。そしてピッチ外ではプレーの傍らヒップホップアーティストとして活動した。

ただ、ビクトル・バルデスが負傷してホセ・マヌエル・ピントがピッチに送られることになると、ファンは不安に苛まれた。2013-14シーズンには彼が起用された時間の勝率が非常に悪く、チームも無冠となっている。

ドウグラス

実はバルセロナに5シーズンも保有されていたブラジル人のサイドバック。2014年にサンパウロから400万ユーロで加入したものの、5年間で3チームへのローン移籍を経験しており、リーガでの出場数はわずか3試合であった。

しかもそのキャリアの中では怪我に苦しめられる時期もあり、後には「バルセロナではプレーできずにつらい時期を過ごした。毎日のように泣いて家に帰っていたよ」と語っている。

しかしながら、彼は練習場ではリオネル・メッシやネイマールと仲良く過ごし、常に笑顔でプレーしていた。特に揉め事も起こさず、その立場にも関わらず不満分子にならなかった。ある意味では多くのタイトルに貢献したともいえる。

アレックス・ソング

アレックス・ソングはもちろん悪いプレーヤーではなかった。アーセナルで非常に優秀な成績を収め、2012-13シーズンのリーガで勝点100を超えたバルセロナの一員でもあった。

とはいえ、彼はスペインでの短い時間の間、定期的にバルセロナのレギュラーとしてプレーすることはなく、ピッチ上で何をしたかはあまり記憶されていない。

ただリーガ優勝が決まった試合においての行動が大きな話題に。プジョルがトロフィーを持ち、がんを克服したエリック・アビダルの元へと歩き出すと…なぜかアレックス・ソングが前に出てきたのだ。ファンからは「お前じゃねえ」と激しくツッコミを受けたが、その天然キャラは微笑ましかった。

ドミトロ・チグリンスキー

バルセロナの歴史上でも最大クラスの失敗補強だと言われているウクライナ代表DFのチグリンスキー。歴史的な3冠を成し遂げたあとのクラブに加入し、グアルディオラ監督の下でポジションを争った。

しかし彼はバルセロナの最終ラインでまったく説得力を見せることなく、怪我も多く、わずか1年でシャフタール・ドネツクへと戻っていった。

個性的だったのはチグリンスキーが後に語ったことだ。「僕のために支払われた2500万ユーロは大きなプレッシャーだったよ。高すぎだ。自分の本当の価値じゃない。バルセロナは別世界だったよ。メッシやズラタンのレベルには驚いたし、あの印象的なチームの一員だったとは今も信じられない」なんとも謙虚な選手であった。

ファビオ・ロッケンバック

バルセロナの歴史上でも最も不思議な選手の1人であるロッケンバック。カルトヒーローという言葉が似合う存在だ。2001年から2005年の在籍期間は、クラブが最も低迷した時期の一つであり、それも不運であった。

加入前はジョゼップ・グアルディオラの後継者とも伝えられていたブラジル人ボランチは、プレーしてみれば強烈なミドルシュートを武器としていた無骨そのものの選手だった。

事前の予想とは全く違った選手であったが、リヴァプール戦ではとんでもないフリーキックを叩き込んで大きな話題に。

マキシ・ロペス

友人だったマウロ・イカルディに元妻のワンダ・ナラを寝取られたことで知られるマキシ・ロペス。その件によって高い知名度を誇るものの、意外なことにアルゼンチン代表で出場したことは一度もない。

バルセロナでもわずか2ゴールしか決めていないものの、彼はロナウジーニョらとともに過ごした日々を以下のように振り返っていた。

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「ロナウジーニョとはいつも一緒に夕食に行った。街を案内してくれた。彼は僕にもチームメイトにも常にそうだったんだ。生きる喜びをもってみんなをまとめた少年だった。素晴らしいグループだったよ。いまもマルケスやジュリ、モッタ、ベレッチと連絡を取っている。本当に親しかった」バルセロナでの日々は彼にとって素晴らしいものだったようだ。

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