地図持たぬフィリピン登山者、先住民ガイドにお任せ 雇用生み出し名峰保全を…山火事頻発、焼き畑に問題

フィリピン・ルソン島最高峰のプラグ山の稜線に現れた太陽を見つめるイバロイ族の登山ガイド、リザリン・アガトンキリントさん=4月2日

 フィリピンの登山者は地図を持たない。登山道に道標も見当たらない。地元住民を道案内に雇い、安全確保を委ねるのが“常識”だ。ルソン島で最も高いプラグ山(2922メートル)の登山ツアーに参加した。当局はガイド雇用を登山者に義務付け、貧しい先住民に職を与えて国立公園保護区の森林を保全しようと狙う。(共同通信=佐々木健)
【動画】名峰の樹林帯、黒焦げに 焼き畑抑制へ先住民雇用
 ▽入山に手間
 プラグ山は、ミンダナオ島にある同国最高峰アポ山と並ぶ名峰だ。首都マニラからすし詰めの車で夜通し7時間かけベンゲット州の山麓に到着した。だが、すぐ山に登れるわけではない。

 全ての登山者は血圧と血中酸素濃度を測定、聴診器を当てられて医師の診断を受ける。そして国立公園事務所に集合し、自然保護や登山コースに関するビデオを見せられ、担当官から禁止事項などの講義を聴き、手の甲に登山適格の押印を受ける規則になっている。手続きに手間がかかり、ツアー登山が主流だ。
 講義を行ったデイシー・モレストさんは「全ての登山者にガイド雇用を義務付けている。国立公園内にいる住民の主な収入源は野菜栽培。森林を畑に変えるのをやめさせるためには、住民に他の収入源を与える必要がある」と説明した。
 ▽「殺人トレイル」に騒然
 今回挑むのは、テント1泊で標高差約2千メートルを登る「アキキ・トレイル」。昨年7月の地震で荒廃し閉鎖されていたが、4月1日に再開。私を含む一団が久しぶりの入山者となった。
 ガイド任せの登山には計画が周知されていない弊害もある。一部の登山者は、登頂に11~15時間を要し「殺人トレイル」と呼ばれる難コースだとの説明に驚き、「引き返そうか」などとざわめき始めた。モレストさんは「テントや調理器具など全て担ぎ上げなくてはならないが、ポーターを雇うこともできる」と付け加えた。
 登山口までは派手な装飾の伝統的な乗り合いバス「ジプニー」で移動する。景色を楽しもうと屋根の荷台に座る登山客も多い。カーブで揺れるたびに歓声が上がる。自由に楽しむのがフィリピン流だ。

フィリピン・ルソン島ベンゲット州で、プラグ山に至るアキキ・トレイル登山口に向かう「ジプニー」に乗り込んだ登山客ら=4月1日

 ▽客10人に同行6人
 私が参加した1泊2日のツアーは登山客10人に主催者や料理人ら3人が同行。さらに登山口で先住民イバロイ族のガイド2人とポーター1人が加わり、大登山隊の様相となった。
 各登山者は入山料や文化遺産税などとして800ペソ(約2千円)を徴収された。ガイド2人には計3600ペソを払う。これらを含むツアー代金は、マニラからの交通費と山行中の食事を含めて4600ペソだった。このほか医師診断料が150ペソかかる。
 早朝に着いたにもかかわらず、諸手続きに時間を取られ、入山できたのは正午。でも、フィリピン人は誰も文句を言わない。
 ▽教育費稼ぎ
 登山口の先の斜面にはトマトとカリフラワーが植えられていた。イバロイ族のガイド、リザリン・アガトンキリントさん(28)は、山岳地帯は涼しく、ピーマンやブロッコリーを含む「高原野菜」を毎年3回ほど収穫し、全国に出荷していると話した。ただ「市場価格が安ければ何にもならない」と訴える。
 それだけに、収入が保証される登山ガイドは魅力的。多くの住民が希望し、月に1~2度しか順番が回ってこないという。「子4人の教育にはお金が必要。親戚の体験談を聴き、日本へ農作業の出稼ぎを考えている」と打ち明けた。だが「家族と離れ離れになるし、日本語は難しい」ともこぼした。

フィリピン・ルソン島最高峰のプラグ山への登山道で、有名な奇樹を紹介するイバロイ族のガイド、リザリン・アガトンキリントさん=4月1日

 ▽樹林帯が黒焦げに
 峡谷に差しかかると、対岸の山腹から白煙が立ち上っているのに気づいた。がけの一帯が焦げているようにも見える。乾燥する3~4月は、山火事が頻発するらしい。
 登り進むと、名峰の誇りとされる針葉樹林があちこち黒く焦げていた。薄い煙と異臭も漂ってきた。リザリンさんは「焼き畑をしている」と教えてくれた。「当局が見つければ刑務所に送られるが、見つけられなければ何もできない」という。
 当局は、こうした山火事は、違法な焼き畑農業の飛び火や登山者の失火が原因だとみている。プラグ山は貴重な生態系が残り、昨年4月、保護区に指定されたばかりだ。

フィリピン・ルソン島のプラグ山に至る登山道脇の針葉樹林帯の山火事跡=4月1日

 ▽持続可能性
 コルディレラ行政地域のラルフ・パブロ環境天然資源局長も「焼き畑をまだ続けている住民がいる」と指摘。「この慣習の根絶に力を尽くし、生活の糧となっている山を破壊しないよう住民に提唱してきた」と強調した。
 「野菜は霜害で駄目になることもあるが、エコツーリズムは持続可能。ガイドやポーターの訓練も行っている」と訴える。現在、登録ガイドが約150人、ポーターが約75人いるという。
 ただ、プラグ山の登山人気は高まる一方。毎年数千人で推移していた入山者は2011年に1万人を突破、コロナ禍前の19年には4万3千人を超えた。「山の収容力の範囲内に入山者数を制限する方針だ」

山上の草原帯を白い化繊の袋を担いで登るポーター=4月2日

 ▽サンダルで33キロ担ぐ
 テント場に着いたのは日没直前。ポーターのロジェイルさん(32)はテントや食料など33キロの重荷を化繊袋に入れて担ぎ上げ、妻のリザリンさんに迎えられた。テント場は標高約2千メートルで朝晩は冷え込むが、ロジェイルさんは素足にサンダル履き。過酷な労働だが、リザリンさんの倍の3300ペソ(約8千円)を稼げるという。
 食事づくりはマニラから同行した料理人が担当。手際よくスープや炒め物の夕食を作ってくれた。でも、テントで睡眠できたのはわずか3時間。午前1時に起床し、朝食の後、3時にはヘッドライトを点灯して登山を再開した。

サンダルでテント場に向けて登る料理人=4月1日

 ▽先住民の権利尊重
 樹林帯が開けると、満天の星が現れた。草地を登り続けると、地平線が明るくなった。雲海が静かに広がっていた。数え切れないほど登頂経験があるリザリンさんも、山影を圧倒していく黎明に見入っていた。

4月2日、日の出前の雲海

 山頂に着き、山仲間らに「地図は持たないのか」と聞くと、「フィリピンに登山地図はない」との答えが異口同音に返ってきた。ジョンリアン・ラダンさん(27)は「店でも売っておらず、先住民の案内に頼るしかない」と説明した。入山手続きにも不満はないと断言。「フィリピンは先住民の権利を尊重しているんだ」と語った。
 登頂記念撮影の後、最短路のアンバネ・トレイルを一気に下った。登山も下山も、みな自分のペースを貫くので、まとまって行動することはない。先住民のガイドが目配りしてくれなければ、はぐれる登山者が続出してしまうだろう。

山頂での記念写真

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