「追悼・坂本龍一さん」あらゆる音楽ジャンルを分析し、卓越したセンスでシンプルな形にまとめた作曲家【榎政則の音楽のドアをノックしよう♪】

今月初め、世界中の音楽家・愛好家達に衝撃的なニュースが飛び込んできました。坂本龍一氏の訃報は、改めて偉大な作曲家への愛と尊敬を思い起こさせました。

映画「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」には、作曲家としても俳優としても出演し、高い評価を受けていることをご存知の方も多いでしょう。近年は闘病中も音楽活動を続け、まさに音楽とともに生き続けた人生であったといえます。

氏の音楽には奇をてらったところがあまり感じられず、シンプルな美しさがあり、一種の悟りの境地に入っているかのように感じられます。いかにしてそのような音楽が生まれたのか、追っていくことにしましょう。

坂本龍一さんの経歴~クラシック、YMO、映画音楽~

坂本龍一さんは1952年東京都で生まれました。3歳でピアノを習い始め、10歳で作曲を習い始めます。習い事としての音楽はおもにクラシック音楽中心でしたが、高校時代はジャズやロックも好んで聴いていたり、演奏したりしていたようです。その後、日本最高峰の芸術教育機関である東京藝術大学(東京藝大)の作曲科に進学します。そこで、前衛主義音楽・民族音楽・電子音楽といったものを深く学ぶことになります。

東京藝大作曲科の修士課程まで進み、それを修了した後はスタジオ・ミュージシャン、アレンジャー、プロデューサーなど様々な役割で音楽活動をし、竹田賢一さん、山下達郎さん、など様々なアーティストとキャリアを積みました。そして、1978年に高橋幸宏さん、細野晴臣さんと3人で「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成します。

⇒ピアニストはなぜ両手をバラバラに動かせるのか? 「両手でピアノを弾くコツ」を解説

YMOはディスコやテレビ番組で曲がかかるようになると、日本全体に人気が爆発的に広がっていき、テクノポップブームを巻き起こします。テクノポップとは日本独自の言葉で、シンセサイザーやシーケンサーなどの電子機器を用いて作ったポピュラー音楽のことです。

電子機器を用いた音楽は、戦後に西洋の実験的なものとして取り入れられていましたが、これを1970年代にポピュラー音楽に取り入れて成功させたのは世界でも稀有な例で、1980年代以降の音楽を牽引していく存在となります。

そんな活躍をしながら、1983年に公開された大島渚監督作品の「戦場のメリークリスマス」ではヨノイ大尉役で俳優として出演し、音楽も担当しました。この音楽が英国アカデミー賞の作曲賞を受賞します。さらに、1987年に公開されたベルナルド・ベルトルッチ監督作品の「ラストエンペラー」でも甘粕正彦満映理事長役として出演、また、音楽も担当し、米アカデミー賞作曲賞など多数の賞を受賞します。俳優としての才能を発揮しつつ、世界で認められる映画音楽作曲家としても活動するようになりました。

それからは活動の拠点をニューヨークに移し「世界のサカモト」として愛されるようになります。音楽の捉え方の視野が非常に広く、実験音楽からポピュラー音楽までの様々なジャンルで活躍し、またプレイヤーが観客に演奏するという形式だけでなく、インスタレーション形式だったり、様々な分野とコラボレーションすることで、音楽の可能性を広げていきました。

斬新なスタイルが世界中で評価され、音楽活動もますます盛んになりましたが、2014年に癌が見つかり、それからは療養に専念します。それでも山田洋次監督の映画「母と暮せば」の音楽を担当するなど、音楽活動は続けていました。創作活動は最期まで続けられていましたが、今年3月28日に癌のために亡くなりました。音楽と文化全体に愛され、そして多大な影響を与えた人生となり、世界中から惜しむ声が寄せられています。

シンプルな音楽に込められたセンス~幅広いジャンルの素養~

坂本龍一さんの音楽といって、最初に挙がるのが「戦場のメリークリスマス」のテーマ曲ではないでしょうか。この曲を聞いたときに、光の流れが見えるようなそんな美しさを感じます。そして、非常にシンプルで自然と耳に入ってくる音楽です。どのようにしてこの純粋無垢な音楽が生まれたのでしょうか。

ここからは筆者の意見となりますが、おそらく坂本龍一さんの藝大時代、そしてスタジオ・ミュージシャン時代に培ってきた幅広い音楽の知識が、この美しさの原点にあるのではないかと思っています。

坂本龍一さんは、クラシック音楽、前衛音楽、電子音楽、ジャズ、ワールド・ミュージック、ポピュラー音楽と分け隔てなく様々な音楽に触れていました。そのときに、どんな音楽に対しても一旦は受け入れて学ぶ姿勢と、その後自分で好き嫌いも含め評価するということを行っていました。

たとえば、ハワイアン音楽は馴染めないという発言がありますが、現地に行って大好きになったというエピソードがあります。自分が初めて触れる音楽に対して、盲目的に受け入れるでも、拒絶するでもなく、しっかりと向き合って聞くというのはなかなかできることではありません。

また、YMOに代表されるように、革新的なアイディアを形にしていくという活動もたくさん行っています。

そして新しい音楽に触れたり、新しい音楽を作ったり、ということに必要なのは、先入観を排除し、音楽そのものと向き合うことができるセンス、あるいは審美眼です。

このように培われたセンスと審美眼は、シンプルな音楽を作るときに最も大切なものです。

少ない音で、シンプルな旋律で、誰もが聞いてハッとするような「戦場のメリークリスマス」は、坂本龍一さんのセンスが存分に発揮された曲だといえるでしょう。

これからの音楽家が坂本龍一さんに学ぶこと

第二次世界大戦後に前衛音楽が誕生し、音楽の概念が広くなり様々なことが試されるようになると二つのネガティブな意見が出ました。一つは「聴衆が置き去りにされた不快な音楽だ」というもの、そしてもう一つは「あらゆる可能性が出尽くしてしまい、発展の余地がない」というものです。これは2023年現在でもよく聞かれる言葉です。

しかし、坂本龍一さんの音楽を聴けば、これはすぐに否定することができます。

⇒音楽大学の学生生活はどんな世界? 「のだめ」で注目、体験を基に紹介

坂本龍一さんは、1970年代に、いち早くポピュラー音楽に電子音楽を取り入れ、それを見事に成功させました。あらゆるジャンルの音楽を分け隔てなく冷静に分析し、卓越したセンスで形にしていくというのは、時代を超えて普遍的に創造者に求められるものなのではないかと思います。

最近のトピックといえば、AIの登場や、リアルな3Dバーチャル空間の出現、スマートデバイスの爆発的な普及、宇宙への民間企業の進出、…など夢のある面白いことばかりです。そしてこれらは音楽にも多くの可能性をもたらすことでしょう。様々な話題に常に関心を寄せ続けながら、審美眼・センスを磨き続けることが大切、ということを坂本龍一さんから学ぶことができるのではないでしょうか。

坂本龍一さん、たくさんの偉大な音楽をありがとうございました。謹んでご冥福をお祈りいたします。(作曲家、即興演奏家・榎政則)

⇒Zoomでピアノレッスン、D刊・JURACA会員は無料

 榎政則(えのき・まさのり) 作曲家、即興演奏家。麻布高校を卒業後、東京藝大作曲科を経てフランスに留学。パリ国立高等音楽院音楽書法科修士課程を卒業後、鍵盤即興科修士課程を首席で卒業。2016年よりパリの主要文化施設であるシネマテーク・フランセーズなどで無声映画の伴奏員を務める。現在は日本でフォニム・ミュージックのピアノ講座の講師を務めるほか、作曲家・即興演奏家として幅広く活動。

© 株式会社福井新聞社