「芸術の力、世界をつなげる」被爆者団体の元リーダーを祖父に持つ現代芸術家伊東慧さんが作品に込める思い【G7広島サミットへの望み】

 現代芸術家の伊東慧さんと作品(写真はいずれも本人提供)

 米国を拠点にする現代芸術家の伊東慧さん(32)は、核兵器廃絶をテーマに創作活動を続ける。祖父壮さんは、2000年に70歳で亡くなるまで、被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」(被団協)の代表委員として国内外で核廃絶を訴え、被爆者援護の法律制定に奔走した。
 伊東さんは米国を中心に欧州やアジアでも作品を発信しており、米紙ワシントン・ポストや英BBC放送など海外メディアに取り上げられるなど注目されている。被爆3世として米国で生きる伊東さん。芸術には、人の関心を引きつける力があると話す。なぜ作品をつくるようになり、何を訴えたいのか、込められた思いを聞いた。(共同通信=小島孝之)

 ▽世界平和の原動力だった祖父が誇り
 僕はアメリカで写真を学んだ。大学院で教授から「あなたは真に何を表現したいのか」と問われ、答えが出なかった。半年間、作品をつくれず、最終的に行き着いたのは、人の痛みやトラウマという不可視なものを芸術で可視化したいという思いだ。

 祖父が、がんで亡くなった時は9歳で、ほとんど被爆体験を聞けなかった。僕にとって祖父は人気キャラクター「きかんしゃトーマス」の模型を買ってくれる優しいおじいちゃんで、被爆者というイメージはあまりなかった。

 それでも原爆投下時に「幾千という太陽が空を覆い尽くしていたようだった」という記憶に残っていた祖父の言葉を基に、最初の作品をつくった。

 核兵器廃絶をテーマにした最初の作品。祖父伊東壮さんの言葉を基に制作した。印画紙を直接、太陽光に感光させ、壮さんから受け継いだ光と影などを表現した

 その後、祖父が残した本や文章を読み、祖父を知る被爆者から話を聴き始めた。被爆者の中には、今も体験を話さず、原爆の日はニュースを見ないようにして過ごす人がいる。多くの人がトラウマを自分の中にとどめたまま亡くなり、核の記憶が失われていっているのだと思った。

 一方で、被爆者の闘いを知り、祖父が世界平和の原動力として存在したことに誇りを感じた。二度と繰り返させないために、証言をするという強い意志だ。被爆者が訴えるのは非核だけにとどまらず、反戦争だ。負の記憶とともに、平和への断固たる意志を持つ被爆者の強さを知った。

 米国が原爆開発を進めた「マンハッタン計画」の技術者の孫と共同で制作した作品。原爆の熱線で影を残し、亡くなった人びとを自身の体を使い表現した

 ▽「これは何?」少しの時間でも作品を見てほしい
 祖父がどんな思いで生きたのか想像しながら作品をつくる。でも祖父や被爆者を代弁することはできない。芸術家は自分以上も以下も表現できない。僕の背後にある大きな歴史をどのように自分が受け取り、次の世代に橋渡しするかという視点を大切にしている。

 アメリカでは「原爆は戦争を終わらせた」と正当化する人も多い。そういう人たちは被爆者の苦しみを拒絶してしまう。僕の作品は抽象的で、ぱっと見ただけでは、原爆をテーマにしていると分からないかもしれない。きっかけは「これは何だろう」「この作品は怖いな、美しいな」という関心でいい。少しの時間でも見てもらい、作品の中に一歩踏み入れてもらうことが重要だ。

 芸術は白か黒かという対立の中に入ることができる。グレーゾーンの中で対立する二つの世界をつなげる。抽象的であっても芸術の力はそういうところにある。日本でも展示会を開ければと思っている。

 原爆による目に見える傷痕と、内面の不可視な傷痕を表現した作品。痛みの記憶と共に消えつつある生存者の声も象徴している

 ▽混沌とした世界だからこそ理想を諦めない
 核の問題は、原爆が投下された広島や長崎といった点だけでとらえてはいけない。アメリカでも核実験などによる健康被害を訴える人はいるし、太平洋の島国で被ばくした人もいる。78年前の問題としてではなく、今に至るまで線として継続し、この瞬間に大事なことなのだと知ってほしい。

 混沌とした世界だからこそ、理想を諦めてはいけない。みんなが冷めてしまえば何も起きないし、ともしびすらなくなってしまう。悪いことばかりではない。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞し、核兵器禁止条約ができるなど光はある。僕も自分の役割を全うしたい。

 5月に広島で開かれる先進7カ国首脳会議(G7サミット)では、各国リーダーに、いかにして未来の犠牲者を出さずに平和にたどり着くかということを追及してほしい。被爆者の意志を心で受け止め、制度に反映できる人たちであってほしい。

  広島に投下された原爆「リトルボーイ」を単純化させ、核兵器を永遠に眠らせるひつぎの設計図としてつくった作品

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 いとう・けい 1991年、東京都生まれ。小中時代を甲府市で過ごし、ニュージーランドの高校を卒業。米国の大学、大学院で学び、各地で個展を開く。作品の一部は自身のホームページ(http://www.kei-ito.com/)で公開している。

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