「琵琶湖周航の歌」原曲者は誰? 関係者が明かす「千秋の謎」

吉田千秋

 滋賀県高島市今津町で誕生したとされる「琵琶湖周航の歌」の原曲者・吉田千秋を探し出した30年前のエピソードを振り返る座談会「今、明かされる 千秋の謎」がこのほど、同町の今津東コミュニティセンターで開かれた。愛され続ける歌の歴史を、当時の関係者が改めて検証した。

 座談会には落合良平さん(69)=同町酒波=と桂田孝司さん(69)=同町上弘部=、沢田佐次郎さん(72)=同町桂=の旧今津町時の職員が登壇。コーラス指導者の臼坂登世美さん(74)=同町松陽台=を進行役にエピソードをたどった。

 「周航の歌」は1917(大正6)年6月、旧制三高(現京都大)ボート部の小口太郎が寄港した今津の宿で「われは湖の子―」の歌詞を披露し、学生の間で流行していた「ひつじぐさ」の曲に合わせて歌ったのが始まりとされる。だが、「ひつじぐさ」の作曲者が分からぬまま歌い継がれていた。

 転機は92年。当時、町教育委員会勤務の落合さんが歌の3番に「今津」が登場する理由を調べていた。その際、町史編さんに携わっていた桂田さんが三高OBの堀準一さん(故人)の文章が載った80年と82年発行の文化情報誌「湖国と文化」を落合さんに紹介した。

 それには、小口が友人に「今夜は今津に宿る」と送ったはがきに「滋賀今津(大正)6.6・28」の消印があったと記されていた。さらに「ひつじぐさ」の作曲者は「吉田ちあき」という人物で、東京から新潟県に転居したことも載っていた。落合さんは、はがきの存在などを根拠に今津が「周航の歌開示の地」と名乗りを上げる町おこしをPR。盛り上がりを見せ、町も開示75周年にちなんだ記念事業を93年6月に開くことを決めた。

 次に落合さんは吉田千秋の手がかりを新潟に求め、地元紙の新潟日報にコンタクト。消息を求める記事となった。同県出身の歴史地理学者吉田東伍を研究する男性が記事を読み「東伍の次男の吉田千秋ではないか」と落合さんに連絡。男性が親族に確認して断定し、19(大正8)年に24歳で亡くなっていたことも分かった。

 新潟から落合さんに電話があったのは記念行事の2週間前の夜だった。「たまたま職場に詰めていた。偶然が重なった」と落合さん。桂田さんも「奇跡と偶然のたまもの。神業だった」と振り返った。94年の歌碑建立に尽力した沢田さんは「みなさんの協力のおかげ」と感謝。臼坂さんは「取り上げる職員がいなかったら、千秋とつながりがなく過ぎていたかもしれない」と締めくくった。

 座談会は、昨年12月に発足した「琵琶湖周航の歌の会」が会の初イベントとして開催した。

小口太郎
「琵琶湖周航の歌」の原曲者・吉田千秋を探し出したエピソードについて語る当時の関係者ら(高島市今津町・今津東コミュニティセンター)

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