マンチェスター・シティでゴールを量産するアーリング・ハーランド。
ここでは、彼が生まれた2000年当時の最強ベストイレブンを振り返ってみる。
なお、FIFAの年間ベストイレブンが出来たのは2001年からなので、『World Soccer』による1999-2000シーズンのベストイレブンを参考にした。
GK:オリヴァー・カーン(当時バイエルン)
ドイツ代表とバイエルンのゴールマウスに君臨した闘将。
威圧感を剥き出しにするスタイルのプレーで相手FWたちを震え上がらせた。
2000-2001シーズンにCL優勝を果たしているが、ビッグイヤーを掲げたのはこの一度だけ。
ドイツ代表でもW杯優勝は果たせず、2002年日韓大会決勝ではブラジルに敗戦。15年後に「「ヨコハマ――15年前の今日。なぜ私はGKになったのか?15年前、GKとしているのが辛い日だ」とつぶやいた。
現在はバイエルンのCEOを務めている。
右SB:ジョスリン・アングロマ(当時バレンシア)
当時の欧州サッカー界を席巻していたバレンシアを黒子として支えたフランス代表DF。
PSGやマルセイユ、インテルでプレーした後に30歳を超えてバレンシアに加入すると地味ながらチームを支えた。
若い頃はアタッカーだったが、本人によれば、当時のフランス代表監督だったミシェル・プラティニによって右SBにコンバートされたそう。
EURO1992では大会ベストイレブンに選ばれたが、W杯の舞台では一度もプレーできず。
ちなみに、当時のバレンシアには、アングロという選手もいて、アングロマと右サイドを組むこともあった。
CB:シニシャ・ミハイロヴィッチ(当時ラツィオ)
黄金の左足を持っていたフリーキック職人。ディフェンダーながら「フリーキックだけでハットトリック」という快挙を成し遂げたレジェンドだ。
もとは上がり目のポジションをやっていたこともあってか、DFになっても背番号11を背負い続けた。
幼い頃に紛争を経験したこともあり、強烈なパーソナリティも併せ持ち、世界最強だったセリエAでも存在感は突出していた。
2022年12月に白血病のために死去。教え子だった本田圭佑と冨安健洋も哀悼の意を表した。
CB:パオロ・マルディーニ(当時ミラン)
イタリア史上最高峰の守備者。
確かな技術に、攻撃センス、守備センス、身体能力に戦術理解力を兼ね備え、サイドバックとセンターバックで世界最高に君臨した。
父チェーザレ、息子ダニエルと親子3代に渡ってミランでプレーした点も伝説的(ダニエルはスペツィアにローン中)。
現在はミランでテクニカルディレクターを務めている。
LB:ロベルト・カルロス(当時レアル・マドリー)
悪魔の左足を武器に暴れた元ブラジル代表。
170cmに満たない体格ながら丸太のような太ももから繰り出す人間離れしたシュートで幾度となくゴールネットを揺らした。
8メートルの距離からの時速144kmの弾丸間接FK、フランス代表戦での鬼曲がりキックなど数々の逸話も残した。2017年には9人目のお子さんが誕生している。
MF:ロイ・キーン(当時マンチェスター・ユナイテッド)
サー・アレックス・ファーガソンが率いた最強ユナイテッドを闘将として統率したアイルランド代表MF。
勝負へのこだわりは尋常ではなく、全身全霊のプレーで指揮官から絶対的な信頼を寄せられた一方、相手だけでなく味方も震え上がらせるエキセントリックな性格の持ち主でもあった。
アーリンの父であるアルフ=インゲ・ハーランドの膝に復讐タックルを見舞って引退させた件、2002年W杯直前にアイルランド代表監督と大喧嘩して大会直前にチームを去った件は有名な話だ。
現在はご意見番として活躍中。
MF:フアン・セバスティアン・ベロン(当時ラツィオ)
“ラ・ブルヒータ”(小さな魔法使い)と呼ばれたスキンヘッドのアルゼンチン代表MF。
絶品のボールテクニックを武器にセリエA最高峰のMFとして活躍した。
トップ下が主戦場ながら背番号11に愛着を持っていたがそれには理由がある。11番は父フアン・ラモンがエストゥディアンテスで背負っていた番号なのだ。
現在、ベロンはエストゥディアンテスの副会長を務めているが、息子デイアンを含めて親子3代にわたって同クラブの11番をつけている。
MF:ルイス・フィーゴ(当時バルセロナ)
クリスティアーノ・ロナウドの前にポルトガル代表の7番に君臨したレジェンド。
体重移動とキックフェイントからの切り返し、絶品のキックを武器に右利きの右ウィングとして活躍した名ドリブラーだ。
2000年のバロンドール受賞者だが、この年の夏にバルサからレアル・マドリーへの禁断の移籍を決断している。
移籍の数か月前にバルセロナに日本料理店「Kin Sushi Bar」を開いたが、怒ったバルサファンたちが店に卵を投げつけるのがブームになったこともあってか2年後に店を売却している。
当時、スペインでプレーしていた元日本代表FW城彰二さんは、フィーゴからこのお店についてのアドバイスを求められたとか。
MF:リヴァウド(当時バルセロナ)
サッカー史に残るスーパープレイで観客を酔わし続けたブラジル代表レフティ。
2002年のW杯優勝メンバーでもあり、セレソン史上最高峰の10番でもある。1999年にバロンドールを受賞するなどまさに絶頂にあった。
当時からMizunoのスパイクを愛用しており、日本のファンはシンパシーを感じていたはず。
FW:ラウール・ゴンサレス(当時レアル・マドリー)
スペインのサッカー史とレアルの歴史に名を刻むレジェンドFW。
ずば抜けたフィジカルがあったわけではないが、類稀なゴール嗅覚とゴール前での恐るべき冷静さを武器に得点源に君臨し続けた。
レアルのカンテラに入る前にアトレティコのカンテラにいたのは有名な話。
現在は中井卓大も所属するレアル・マドリー・カスティージャで監督を務めている。
FW:アンドリー・シェフチェンコ(当時ミラン)
爆発的なスピードとずば抜けたゴールセンスで対戦相手を震撼させたウクライナ史上最高のストライカー。
ディナモ・キエフのエースとして大暴れすると、1999年に加入したミランでも得点を量産して瞬く間にエースになった。
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ジネディーヌ・ジダンや元祖ロナウドがいないのは意外かもしれない。なお、2000年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝はレアルがバレンシアとの同国対決を3-0で制して優勝を遂げている。