ドアを開けたら、包丁を持った見知らぬ男 家賃滞納・退去拒否した借り主は最悪の手段を選んだ 「副業時代」の予期せぬ悲劇、どう防ぐ?

神奈川県警茅ケ崎署に入る被告(当時は容疑者)=2022年12月22日

 神奈川県茅ケ崎市で2022年12月、男性会社員(55)宅のインターホンが鳴った。会社員が玄関のドアを開けると、立っていたのはベージュの作業着姿で頭に白いタオルを巻いた男。ちょうど数日前から周辺で水道工事が続いていたから、その関係者に見えなくもない。男はいきなり、持っていた包丁で会社員を複数回刺した。男はすぐに逃走。血まみれになって倒れた会社員を見つけた妻が110番。病院に運ばれたが、死亡が確認された。
 2日後、千葉県の茂原署に出頭して殺人容疑で逮捕されたのは、職業不詳の51歳だった。被害者とは面識もないが、男が住んでいた大阪市の賃貸マンションは、殺害された会社員がオーナーだった。家賃を滞納し、退去を求められた末の「逆恨み」が動機とみられている。
 ただ、管理会社や保証会社ならともかく、どうやってオーナーの住所を知ったのか。男は神奈川県警の調べに対し、こう話したという。「契約書や裁判記録に載っていた」。
 働き方の変化や将来への不安、コロナ禍などから、会社員の副業が広がっている。不動産投資も代表例の一つだが、今回のような予期せぬ悲劇はどうすれば防げるのか。背景や対策を探った。(共同通信=国枝奈々、八島研悟、石田桃子)

※この記事は、記者が音声でも解説しています。以下のリンクの共同通信Podcast番組「きくリポ」で、ぜひお聞きください。
https://omny.fm/shows/news-2/18

男性が刺された住宅付近で警戒する警察官=2022年12月20日、神奈川県茅ケ崎市

 ▽5年近く家賃を滞納。でも退去は拒否
 裁判記録などから、事件の経緯を振り返る。
 殺人罪で起訴された被告は、以前から大阪市の賃貸マンションに住み、2017年から家賃を滞納し続けていた。被害に遭った会社員は2022年1月、未払い分の支払いや退去を求めて大阪簡易裁判所に提訴。訴訟の中で、退去を22年9月まで猶予することを含む和解案も提示していた。
 しかし、被告はこの和解案を拒否。独自の主張を繰り広げた。「クーラーが故障して炎天下の中耐えさせられ、熱中症になりかけたのは男性側の過失」「訴状自体がうそに基づいたもの」「家賃を請求すべき対象が違う」―。
 大阪簡裁は昨年10月、被告の主張をことごとく退ける判決を言い渡している。「被告は原告に対し2017年6月5日から明け渡し済みまで、1カ月4万円の割合による金員を支払え」
 被告の抵抗は終わらない。強制執行停止の申立書を提出するとともに、控訴した。これに対し、大阪簡裁は4日後、控訴審判決が出るまでは強制執行を停止する決定を出している。今すぐの退去こそ防げたものの、家賃を支払わなければ控訴審判決が出次第、追い出される可能性が高いと言える状況だった。
 捜査関係者によると、被告は約2カ月後、レンタカーで神奈川県茅ケ崎市の会社員宅に向かったとみられる。付近では数日前から水道工事が続いていた。事件が起きたのはおよそ1週間後だ。被告は工事関係者を装ったとみられている。凶器の包丁は、千葉県内の海から見つかった。

神奈川県警茅ケ崎署

▽「腹を立てると収まらない雰囲気」
 ところで被告は、どういう人物なのか。面識がないにもかかわらず、なぜこれほどまで強い殺意を持つに至ったのか。
 住んでいた大阪市のマンションの近隣住民は、被告の印象をこう語る。「隣人に物音がうるさいなど因縁を付けてトラブルを起こしていた。一度腹を立てると収まらない雰囲気があった」。2021年頃には、被告が住んでいた部屋の前で、管理会社の関係者とみられる男性と口論し、激怒していたという。
 賃貸マンションの管理会社に尋ねると、担当者は一般論としてこう答えた。「個別案件は記憶をたどらないと分からないが、家賃滞納者の退去交渉をすることはよくある。オーナーの依頼があれば、伝書バトのようなことをする」
 近所の住民が被告を最後に見たのは、事件の数日前。慌てた様子で部屋から段ボールなどの荷物を運び出す様子を目撃したという。事実だとすると、被告は結局、部屋を引き払ったとみられる。取材のため事件の数日後にマンションを訪れると、この部屋の扉には大阪市水道局からの「給水停止予告書」が差し込まれていた。

被告が事件前住んでいたマンション=2022年12月23日、大阪市

 ▽不動産投資は「いつクビになるかわからないから」
 被害者はどんな人だったのか。
 外資系やベンチャー企業などを渡り歩き、海外のサイバーセキュリティー関連製品の普及に奔走する傍ら、不動産投資業などの会社を設立している。登記によると、自宅住所や自身の名前を記載していた。
 被害者と仕事で関係があった人々は、その人柄を高く評価していた。「優秀な営業マンだった」「物腰柔らかく、聞き上手で営業上手だった」「小さな法人相手でもビジネスの相談に乗ってくれた」。全員が、「殺されるような人ではない」「人を笑わせることが好きで、恨まれるような人柄ではない」とも話し、彼の死を惜しんでいた。
 被害に遭った男性会社員にとって、不動産投資は大切な副業だったとみられる。
 外資系企業で同僚だった男性は切実な事情を明かす。
 「外資系企業は、営業成績を出さないとすぐクビになる。男性と働いていた会社はベンチャーでもあったので、いつつぶれてもおかしくなく、しかも次の会社にすぐに採用される保証もない。でも、働けなくなっても家族を養っていかなければならない。だから生活に困らないように、彼も僕も10年くらい前から不動産投資を始めた」
 外資系企業では、働きながら不動産業を始める人は多いという。それだけに今回の事件を聞き、みな衝撃を受けた。「大半は、彼と同じように本名と現住住所をさらしてやっている。『空室リスク』など、さまざまなリスクを抱えながらやっているのに、立ち退き訴訟をしたら逆恨みされるなんて、そんなことあってはいけない」

被告が事件前に住んでいたマンションの貼り紙=2022年12月23日、大阪市

 ▽個人情報の開示を防ぐ手法
 では今回のような事件を、どうしたら回避できるのか。
 不動産業界の経営コンサルティングを手がける「プリンシプル住まい総研」の上野典行所長は、まず制度改正について説明した。
「2022年5月成立の改正民事訴訟法では、原告の住所・氏名を秘匿する制度が設けられている。今回の事件の発端となった訴訟は成立前に起きているから、適用はできなかったが、この制度の周知がまず必要だ」
 そして注意すべき点として「個人情報を公にせず、入居者と直接感情的なやりとりをしないこと」を挙げ、具体策として次のような方法が有効と話す。
(1)家賃督促などは、家賃保証会社や管理会社を活用し、入居者と直接交渉しない
(2)個人間での契約はせず法人化し、登記にはオーナーの自宅ではなく、レンタルオフィスなどの住所を記載し、契約書にも住所を残さない
(3)入居者と管理会社間の契約は電子契約でしてもらい、契約書にもオーナーの個人情報を出さない
 上野氏によると、こうした対策は不動産投資以外でも有効という。近年、各地で相次いだ広域強盗事件では、高額所得者の個人情報が出回り、ターゲットになったとされる。犯罪に巻き込まれるリスクを減らすには、オーナーの個人情報がリスト化されることを防ぐことが必要と述べた上で、こんな指摘もした。
 「最近は『FIREした』『収益物件オーナーで活躍中』など、SNSで顔写真や家族の写真などを公開する人もいるが、犯罪に巻き込まれないためには避けるべきだ」

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