戦争体験の記憶継承 長崎・諫早市が証言映像制作へ ネットなどで公開

 原爆投下、終戦から78年となる今年、長崎県諫早市は市内の被爆者ら戦争体験者の証言を映像として残し、インターネットなどで公開する取り組みに着手する。市は「被爆者らの高齢化や減少が進み、戦争を知らない世代が直接話を聞く機会が失われつつある。本人の声や姿を記録し、体験の記憶や平和への願いの継承を図りたい」としている。
 長崎への原爆投下後、諫早には多くの被爆者が救援列車で搬送。諫早駅に近い百日紅(さるすべり)公園(天満町)には当時、市営火葬場があり、市内救護所などで息絶えた400~500人が荼毘(だび)に付されたと伝えられるなど長崎原爆と関わりが深い。
 このほか、市内には戦争末期に特攻機要員の訓練基地となった「長崎地方航空機乗員養成所」跡などがある。小長井町と高来町には、多良岳上空で交戦し墜落した米B29爆撃機と旧日本軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)双方の搭乗員を悼み、それぞれの鎮魂碑、慰霊碑が建立されている。
 一方、合併直後の2005年3月末時点で4911人いた市内の被爆者(県交付の被爆者健康手帳所持者)は昨年3月末現在、1999人に減少。高齢化が進む中、市は継承事業として10年度から戦争・被爆体験談を募集し、手記を冊子にまとめてきた。撮影は手記を寄せてくれた市民の中から11人に協力を依頼。インタビュー形式で収録し、1人20~30分程度に編集する計画だ。市が証言映像を本格的に制作するのは初めて。
 映像は来年度、市ホームページ(HP)などでの公開を予定しているほか、DVDにして市内図書館などに配布する。市によると、11人のうち半数が90代で最高齢は99歳。企画政策課は「高齢化が進んでおり、できるだけ早く撮影に入りたい」としている。
 長崎原爆の被爆者で収録に協力する井石昭子さん(79)=堂崎町=は、亡き父などから繰り返し聞かされてきた悲惨な体験と平和への思いを伝えるため、学校や長崎原爆資料館で語り部活動をしてきたが、高齢のため一昨年、引退。「あんな悲惨な体験は、子どもたちに二度と味わってほしくない。被爆者や戦争体験者はやがていなくなるが、映像が残ることで私たちの思いが少しでも伝わり、それを見た子どもたちが次の世代につないでくれればうれしい」と話した。

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