クラシック音楽の歴史を知ろう バッハ、ベートーヴェン、ショパン…どんな位置付け?【榎政則の音楽のドアをノックしよう♪】

バッハ、ベートーヴェン、ショパン…、音楽室の肖像にあるような作曲家たちの名前は聞いたことがあっても、クラシック音楽の歴史の中でどのような位置付けの人達なのか、というところまではなかなか知る機会は無いのではありませんか?今回は、1000年以上も発展を重ねた西洋クラシック音楽の歴史について見ていきましょう。

西洋音楽の出発点:グレゴリオ聖歌

西洋音楽の理論は今日耳にするほとんどの音楽で使われています。その出発点ともいえるのが西暦900年頃に成立した「グレゴリオ聖歌」です。西暦900年というと、日本では平安時代です。

このグレゴリオ聖歌はカトリックの典礼文を読み上げるときに歌うものです。日本でもお経を読み上げるときに歌うように発声する「声明(しょうみょう)」がありますね。声明が今でも歌われているように、グレゴリオ聖歌も一部のカトリック教会で歌われ続けている生きた音楽です。

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グレゴリオ聖歌は大きく二つに分けることができます。レチタティーヴォという言葉を主体にして旋律はできるだけ簡素にしたものと、自由旋律という言葉よりはむしろ音楽を聴かせるような華やかなものです。自由旋律のグレゴリオ聖歌は旋律としての完成度が非常に高く、現代に至るまでの多くの作曲家によって、旋律の手本として親しまれてきました。

しかし、複雑で華やかな旋律を持つグレゴリオ聖歌に一つの課題がありました。それは、どのように旋律を後世へと引き継いでいくか、ということです。初めは前の音より高く歌うか低く歌うか、アクセントを付けて歌うか平坦に歌うか、ということを簡素な記号で表すにとどめていましたが、それでは正確に旋律を伝えることができません。そこで、平行な線を何本か引き、その線を基準として歌うことで、正確に旋律を伝えることができるようになりました。こうして楽譜が成立しました。

あらゆる意味で、現代の音楽の原点といえる音楽がグレゴリオ聖歌です。

ハーモニーの誕生:中世の音楽

グレゴリオ聖歌が成立してから1450年頃までの音楽を中世の音楽といいます。

グレゴリオ聖歌が発展していくと、そのうちグレゴリオ聖歌を簡単な和音で歌う人たちが現れてきました。カラオケで「ハモリ」をしたことがある方もいらっしゃると思いますが、グレゴリオ聖歌もハモリをしていたわけですね。ハーモニーの始まりです。

このように和音で歌うと、全員で同じ旋律を歌うよりも遥かに広がりのある堂々とした音楽になります。そして、グレゴリオ聖歌に対し、同時に別の旋律を歌い綺麗な響きにするような技法が生まれてきました。このようにして登場したのが、1200年前後のノートルダム楽派です。

また、同時に異なる旋律を歌うためには、リズムをコントロールする必要があります。音符の形を変えることによってリズムを表す記譜法はこの頃に整えられました。この時代の楽譜はほとんど現代のものと同じように読むことができます。

豪華絢爛な建造物:ルネサンス音楽

中世では、古代ギリシャの知識を取り入れて急激に発達した中東イスラム文化に対し、ヨーロッパのキリスト教文化ははっきりと遅れを取っていました。それがはっきり表れていたのが、1096年から1303年まで何度も行われた十字軍遠征だと言えます。十字軍はイスラム勢力の前に、ほとんど戦果を挙げることができませんでした。

そこで、イタリアを中心にして1400年頃から徐々に「古代ギリシャ・ローマ復興運動」である「ルネサンス運動」が勃発します。

これは政治・科学・文化に大きな影響をもたらしました。まず、音楽の発展が教会中心だったのに対して、世俗音楽と呼ばれる民間の音楽の影響力が強くなってきたことです。これは古代ローマが共和制で、市民が政治の中心だったことが影響しています。そのため、ルネサンス音楽は洒落の利いた音楽や、恋を歌ったものなど、親しみやすいものとなっています。

中世で発展した、旋律に旋律を重ねる技法(ポリフォニー)は更に緻密に発展し、巨大な建造物のように豪華絢爛な音楽が次々と誕生しました。

書法が発展すると、人間の複雑な心情を生々しく描くこともできるようになりました。ルネサンス後期には非常に不協和で心をえぐられるような音楽や、不安定な和音の連続でせきたてられるような音楽なども登場しました。これは直接次の時代に引き継がれることはありませんでしたが、近代以降の作曲家に大きな影響を与えています。

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