2000年代にイングランド・プレミアリーグを席巻したアーセナル。そして2010年代になってトップクラスのクラブになったマンチェスター・シティ。
今季はこの2つのクラブが優勝を激しく争ったまま、シーズンのクライマックスを迎えることになった。
ということで、今回はイングランド・プレミアリーグが創設された92年以来、アーセナルからマンチェスター・シティへと直接移籍した選手たちの中から6名をピックアップした。
デイヴィッド・シーマン
移籍:2003年
移籍金:フリー
2003年、アーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督はポニーテールの大ベテランGKデイヴィッド・シーマンを維持したいと考え、1年の契約延長を申し出た。
しかしながら13年もの間アーセナルに献身してきたシーマンは、自分が1番手ではないことを伝えられたため、39歳でマンチェスター・シティへと移籍することを決めた。引退したピーター・シュマイケルの後釜としてである。
ただ、シティへと移ったシーマンは前半戦で19試合に出場したものの怪我でプレーが不可能になり、半年後に現役を引退することになった。
エマニュエル・アデバヨール
移籍:2009年
移籍金:2500万ポンド(およそ42.66億円)
マンチェスター・シティがアーセナルを資金力で上回った最初の移籍だったといえるかもしれない。前年度にロビーニョ、ジョー、ショーン・ライト・フィリップスなどを買うために散財したクラブは、2009年にもアデバヨールを2500万ポンドで引き抜いた。
アーセナルでは2007-08シーズンにプレミアリーグ24ゴールを決めたストライカーであり、欧州でも屈指の若手として評価されていた。マンチェスター・シティではわずか1年半の所属であったが、印象はあまりにも強かった。
古巣アーセナルとの試合でゴールを決めた彼は、なんと古巣のサポーターの元まで走り寄って膝滑りパフォーマンスを見せる挑発行為を敢行。スタンドからは様々なものが彼に向かって投げ込まれ、アデバヨールは2試合の出場停止処分を受けている。
コロ・トゥレ
移籍:2009年
移籍金:1600万ポンド(およそ27.3億円)
そしてエマニュエル・アデバヨールとともにアーセナルからマンチェスター・シティに移籍したのがコロ・トゥレだ。アーセン・ヴェンゲルの下でアタッカーからセンターバックにコンバートされ、世界最高クラスの守備者として開花した選手である。
そしてマンチェスター・シティでも彼は最終ラインに安定性と権威をもたらした。寄せ集めにも近い状態のチームをうまくまとめ上げ、そのリーダーシップの素晴らしさを証明した。
ヒューズ監督時代にはキャプテンも任されるなど4シーズンにわたって活躍。2011-12シーズンのプレミアリーグ優勝にも大きく貢献している。
ガエル・クリシ
移籍:2011年
移籍金:1000万ポンド(およそ17.06億円)
アデバヨールとコロ・トゥレがアーセナルからマンチェスター・シティへと移籍してから2年後、今度はフランス人サイドバックのガエル・クリシが取引されることになった。
アーセナルのユニフォームを着て8年間もの時を過ごしたクリシは、マンチェスター・シティがプレミアリーグで突出した存在になるための重要なピースの一つになった。6シーズンを戦い2回の優勝を経験し、2017年にイスタンブール・バシャクシェヒルへと去っていった。
サミル・ナスリ
移籍:2011年
移籍金:2400万ポンド(およそ40.95億円)
10代にして名門マルセイユの中心的な司令塔として大ブレイクしたサミル・ナスリ。技術的には雄大で、エレガントで、スピードもあって、創造性に優れていた。アーセン・ヴェンゲル監督が愛した選手でもあった。
そしてガエル・クリシと同じ2011年にマンチェスター・シティへと移籍することになり、そして同じように6シーズンを過ごした。ただ、そのキャリアはシティで徐々に降下していった。
気まぐれなプレーメーカーはジョゼップ・グアルディオラ監督ともあまりうまくいかず、最終的にアンタルヤスポルへ移籍。そして2018年にはドーピング違反で長期の出場停止を受けることに。
バカリ・サニャ
移籍:2014年
移籍金:フリー
2014-15シーズンの開幕前、マンチェスター・シティはあまり良い補強ができなかった。ただ、当時はアーセナルからフリーで右サイドバックのバカリ・サニャを獲得したことは抜け目のないビジネスに見えた。
アーセナルとの契約延長を拒否したサニャは、マンチェスター・シティで3番のユニフォームを手渡された。ただ彼にとって不幸だったのは、パブロ・サバレタが非常に好調だったため、右サイドバックのポジションが空かなかったのだ。
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サニャと同じ時にシティへと加入したのはエリャキン・マンガラ、ウィルフリード・ボニー、ブルーノ・スクリーニ、フェルナンド。誰もうまく成功できなかった。