攻撃的なスタイルで世界のサッカーファンを魅了してきたオランダ。これまで数々の伝説的な選手を生み出してきた。
ここでは、そんなオランダが生んだ最強のストライカーたちを特集してみよう。
ロビン・ファン・ペルシー
オランダ代表:102試合50ゴール(2005-2017)
デビューしたフェイエノールトでは小野伸二と同僚だったファン・ペルシー。頭角を現したのはウィングとしてだった。
とにかく足元の技術は天下一品で、細身の体をくねらせながら吸い付くようなボールコントロールで敵を翻弄した。
一方で無闇に持ち過ぎるという大きな欠点があった。しかしアーセナルでアーセン・ヴェンゲル監督(当時)と出会いストライカーへと起用され始めると、その秘められた得点力が開花する。
その後は宿敵マンチェスター・ユナイテッドに移籍して大きな物議を醸したが、そこでも素晴らしい活躍を見せた。
オランダ代表でもエースとなり、引退までに重ねた通算50ゴールはオランダ代表で歴代最高の数字となっている。
パトリック・クライファート
オランダ代表:79試合40ゴール(1994-2004)
長い手足を生かしたポストプレーとボールキープが絶品だったクライファート。
簡単なシュートを外す面があったものの、難しいボールをアクロバティックな体勢でゴールへとねじ込む姿は観るものを魅了した。
20代の前半には完成されたプレーを見せており、バルセロナで活躍する頃には「世界一のストライカー」になるのもそう遠くないと思われた。
ただキャリアの後半には陰りをみせ、オランダ代表での出場もまだ20代だった2004年が最後となった。
早熟だったといえばそれまでかもしれない。それでも彼の潜在能力こそがナンバーワンだったと考えるファンも多い。
マルコ・ファン・バステン
オランダ代表:58試合24ゴール(1983-1992)
近年は「FIFA最高技術開発責任者」として“奇抜なアイディアで騒がせるおじさん”と化しているが、彼こそヨハン・クライフの後継者と呼ばれた不世出の天才ストライカーだ。
当時世界で最も厳しいといわれたセリエAでゴールを量産。ルート・フリット、フランク・ライカールトとのオランダ人トリオでミラン黄金期を築き上げた。
国際舞台においても1988年欧州選手権の決勝で角度のないところからゴールを決め、オランダに今なお唯一の国際タイトルをもたらしている。
ケガによって30歳で現役引退とピークの期間は短かった。それでも今日まで伝説的に語られるのはそれほど彼のインパクトが大きかったということであろう。
ルート・ファン・ニステルローイ
オランダ代表:70試合35ゴール(1998-2011)
現在PSVアイントホーフェンの指揮官を務めているルート・ファン・ニステルローイ。
奇しくも前述のクライファートと全く同じ年月日に生まれたFWは、クライファートが10代からスーパースターとして脚光を浴びたのに対しブレイクは遅かった。
しかし開花して以降は怒涛の勢いでゴールを量産する。マンチェスター・ユナイテッドのエース、またプレミアリーグ最高のFWとして栄華を築いた。
クライファートほどの万能タイプではなかったものの得点能力や勝負強さは圧倒しており、キャリア全体での評価は逆転したといえるだろう。
デニス・ベルカンプ
オランダ代表:79試合37ゴール(1999-200)
卓越した技術と“アイスマン”と呼ばれた冷静な頭脳が傑出していたベルカンプ。限られた時間の中で正しい選択を瞬時にすることができた。
代名詞となっているのが機械のように正確なトラップ技術で、1998年ワールドカップ準々決勝アルゼンチン戦でのゴールなど、語り継がれる伝説的なプレーを生み出してきた。
極度の飛行機恐怖症ということで国際舞台での活躍は限られたもののインパクトの強さは最高峰であり、「トラップといえばジダンかベルカンプ」というファンは根強い。
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そんな彼はアーセナル時代、ティエリ・アンリのサポート役だったイメージも強いが、もともとは点取り屋としても非常に優秀であった。