政界去った「異端児」松井一郎氏、周囲が語るその人物像 仲間思いのリーダーか、暴走する独裁者か 首長ポストと議会過半数独占の「維新政治」を考える

松井一郎氏

 政治団体・大阪維新の会をけん引してきた松井一郎氏(59)が4月、大阪市長の任期を終えて政界を去った。大阪府議時代に自民党を飛び出し、盟友の橋下徹氏と創設した組織を統率。「身を切る改革」を党是に、党派色を前面に出して大阪府知事や大阪市長のポストを独占し、地方行政の運営に一石を投じた。10年余りの「維新政治」を考える上で、松井氏は欠かせない存在だ。
 大阪維新を母体とする日本維新の会は「地方発」の政党でありながら勢力拡大を続け、今や政権奪取の青写真を描くまでになった。自民党を離れたにもかかわらず、時の政権中枢と気脈を通じて政治力を発揮した松井氏には「親分肌」「勝負師」とさまざまな異名がついた。関わりの深い4人にインタビューし、従来の型にはまらない異端児の実像に迫った。(共同通信=木村直登)

吉村洋文氏

 ▽仲間は絶対に沈ませない―吉村洋文・大阪府知事

 【2011年に大阪市議に初当選し、衆院議員、大阪市長を経て現職。今春の知事選で圧勝し、再選された。橋下氏が引退した後、大阪維新の「二枚看板」として松井氏と共に活動してきた。2020年から大阪維新代表】

 松井さんと初めて会ったのは、大阪維新が候補を擁立した2010年5月の大阪市議補選のとき。「政治の経験がないなら見においで」と言われました。その後、市議選の公募で面談を受けたんです。生活の基盤があった北区から出たいと言ったら「もっと当選確率が高いところがある。仲間になってほしいからそっちからどうだ」と声をかけてくれました。こわもてだけど優しい人、というのが第一印象です。
 松井さんはけじめをつけて引退を決断しましたが、二枚看板として都構想に臨んだ僕にも責任があります。知事2期目に挑戦するべきかどうかはすごく悩み、自分を育ててくれた松井さんに相談していました。そういう話をする時は焼き鳥を食べながらが多いですね。
 松井さんは筋を曲げない。印象深いのは、知事だった松井さんと大阪市長だった僕が任期途中で退任し、立場を入れ替えた2019年のクロス選挙。公明党と都構想について協議していましたが、2018年末の時点で、われわれからすると約束が守られない状態になり、住民投票の実現が難しくなりました。普通ならそこで諦めるんでしょうが、年始の互礼会の帰りに松井さんから「クロス選挙やろうと思うねん」と。松井さんは腹をくくったんだと感じました。「それで行こうと思います」「よっしゃ」。あうんの呼吸でした。大阪城近くに止めた車中で2人で話をした、その瞬間は今でもよく覚えています。
 松井さんが一番しんどかったのは、橋下さんが引退した時だと思います。多くの国会議員が離れていって、ボロボロの状態でしたが、松井さんには沈みかけの船に乗ってくれている仲間は絶対に沈ませてはあかんという非常に強い思いがあった。全国的にも一定は認められる政党になったのは、松井さんがあの時に諦めなかったから。
 松井さんからは「次のリーダーをつくれよ」と言われています。組織のトップは走れるところまで走って、力尽きたらしかばねになる。次のリーダーが踏み越えて前に行く。結果として大阪が良くなって、政治が前に進めばそれで良いんです。

東徹氏

 ▽最初からリーダーの素質―東徹・日本維新の会参院議員

 【松井氏と同じ2003年に自民党の大阪府議として初当選。大阪維新の会設立に参加し、総務会長を務めた。2013年から現職】

 当選同期というのは、特別な関係。その仲間の中でも松井さんだけはやっぱり違ったね。
 当時、大阪は財政的に厳しかったし、景気も悪かった。松井さんには「このままでは、大阪は駄目になってしまう」という怒りがあり、議員団の会合でも真っ先に手を挙げて意見していた。
 2004年の知事選には、自民党が推していた当時の現職・太田房江さんの対抗馬として江本孟紀さんを担ぎ出した。1年目から「太田ではあかん」とばりばりやっていた。自分で選挙事務所を見つけてきたり、人を集めてきたり。行動力があった。最初からリーダーとしての素質を持っていた人やね。
 2011年に知事になった時、知事室をのぞきに行くと「おれは籠の中の鳥や。早いこと辞めたい」と、そんなことばっかり言っていた。それなのに国政政党を設立して、代表になった。国会議員の経験がないのに国政選挙の党首討論に出て、対等に話をするなんてまねできない。
 組織運営では、大きな方向性はトップの松井さんが決める。どんなに反対する人が出てきても絶対にぶれない。そこが強さやね。「身を切る改革」は民間人として仕事をしていた松井さんの哲学。議員の在り方を変えないと政治が変わらない。当選したら身分に安住して長く続けたいと思う議員が多いが、松井さんはそうではなかった。
 今でも同期で年に2回くらい集まる。そういう時、松井さんはあまりしゃべらんけど、厳しいことは言うね。去年集まった時は「今度の統一地方選に出るのは良いけど、今からその次の選挙のことまで考えていたらあかんぞ」って。大阪維新の会は「1期4年の覚悟で」と言って始めたから。
 これからも大阪と日本の政治に対して意見を言ってほしい。

柳本顕氏

 ▽一党独裁的状況をもたらした―柳本顕・自民党衆院議員

 【1999年に大阪市議に初当選。大阪都構想を巡る議論では維新に対抗する「大阪市存続派」の要として活動した。2015年と19年の市長選に立候補し、それぞれ吉村氏、松井氏に敗れる。21年から現職】

 松井さんは最後に登壇した大阪市議会で「政治は政党政治だ」と発言したそうだが、地方政治は二元代表制。首長が絶大な権力を持っていて、議会はチェック機能が中心になる。そこに政党政治を持ち込んだことによって、一党独裁的な、物事を内部で決めて進めるがごとき状況が大阪にもたらされた。ブレーキの利かない暴走列車になっているところがある。
 都構想議論のとき、私は反対だけど「府市が抱える課題認識は共有しますよ」と言った。他者の主張も認めた上で丁寧に議論を進めたいという思いだったが、松井さんや吉村さんはそういう部分をすっ飛ばしてしまう。賛成か反対か二者択一の土俵に乗せようとする。地方政治は政策の細やかな対応が求められるので、〇(マル)か×(ペケ)かだけでなく、三角が出てきてもおかしくないはずだ。
 松井さんとは自民党の青年局で一緒に活動したことがあった。青年局世代はごそっと維新に行き、私も維新に参加しないかと誘われた。新しいことをすることには賛成だが、大阪市を廃止することが良いとは思えなかった。
 1度目の市長選の討論会で、松井さんに「ついにここまできたか」というコメントをもらったことがある。青年局時代から、お互いにいろいろ経験して、首長を争う立場になったかと。そのときは感慨深いものがあった。大阪の政治を一歩でも二歩でも成熟させる機会をもらったことは確かなので、感謝もしている。
 松井さんは私のツイッターをチェックしているようで、時々ツイッター上で絡んでくる。必ずしも好意的ではないが、愛されていると感じる。政治的に立場は違っても、お互いをリスペクトしているところはある。

久保敬氏

 ▽画一的な価値観押し付け―久保敬氏
 
 【大阪市立小学校の校長だった2021年5月、新型コロナウイルス感染拡大を受けて小中学校での全面オンライン授業実施を指示した当時の松井市長に対し「現場が混乱している」と批判する提言書を送付し、市教育委員会から文書訓告処分を受けた】

 2021年4月19日に市長が「緊急事態宣言が出たら一斉オンライン授業をする」と言ったのがテレビで流れたようで、夕方に保護者から「来週から学校なくなるんですか」と電話があって初めて知った。元々、児童への貸し出し用のWi―Fiルーターが足りないと教育委員会に伝えていたから、追加で来るのかなと思って問い合わせたら「ない」と。足りないのにオンラインでやれというのはおかしいでしょう。
 橋下徹さんが登場して以来、教育がパフォーマンスとして政治に利用されているという思いがあった。子どもと一番近い教員の声を聞いてほしかったが、「自分たちが決めることが民意だ」とされると、それ以上、何も言えなかった。松井氏に提言書を送ったのは「今は辛抱するしかない」とこれまでやり過ごしてきた自分への怒りもあった。
 市長が策定に携わる教育振興基本計画は、学力テストの点数やタブレット使用率などの数値目標を掲げている。現場の感覚とは乖離(かいり)したような内容がトップダウンで設定され、目標を達成しようとすればするほど、子どもと直接関わる仕事ができなくなっている。
 目の前の子にとって何が大切かを考えるのが本来の教育だ。その環境整備をするのが教育行政で、教育と教育行政は全く別物だったはず。いつの間にかその境界線が曖昧になり、教育委員会は「市長の言うことの実現が仕事だ」という意識に変わってしまったのではないか。
 維新は私立高の授業料無償化を進める一方で、定員割れする府立高校の統廃合を進めている。一部の人気校の倍率がどんどん上がれば、結局、経済的に豊かで実力のある子どもだけしか希望の学校に行けない。「底辺校」と言われる学校でも、先生との関わりの中で何とか踏みとどまっている子もいる。
 大阪の子どもは生きる力があり、テストの点ではない世界をいっぱい知っている。なのに、あまりにも画一的な価値観を押し付けられ、不登校やひきこもりの子を増やしていないか。
 松井氏の批判をしたいのではない。一人一人が主権者として政治に関わっていて、自分の意見も市長の意見も同じ「1」なんだという意識が大事なのではないか。

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