貧困、いじめ、不登校…大道芸が変えた僕の人生 母子家庭で育ったひろとさん、出発点は両親と訪れた海遊館

炎のジャグリングを披露するひろとさん。「大道芸は練習すればするほどうまくなれる」=県立明石公園

 炎が揺らめくトーチが宙を舞う。5本をお手玉のように次々投げてはつかむ曲芸に歓声が湧く。兵庫県内各地のイベントに出演する大道芸人ひろと=堺市、本名・中西宏人=さん(37)は軽妙なトークも交えながら大勢の見物客を笑わせるが、意外にも小中学校は不登校で通えなかったという。「独りで遊んでいたのがヨーヨーやこまだった。夢中になれるもの、居場所があって救われた」と振り返る。(松本寿美子)

 母子家庭で育った。小学1年のとき、境遇をからかわれるなどのいじめを受け不登校に。母親が担任に相談すると「息子さんに問題があるのでは」と返されて憤慨。もう「学校に行け」とは言わなくなった。

 大道芸と出合ったのは翌年のこと。「死んだ」と聞かされていた父親に、母親が会わせてくれた。3人で出かけた海遊館(大阪市)。観覧車を降りたとき、大道芸を初めて見た。「両親が楽しそうで、僕も楽しかった」と鮮やかに残った。

 その後、孤独だった時間は反転する。母親が仕事の昼間、ヨーヨーや中国ごまに夢中に。「水や電気が止まる日もある」生活だったが、さみしさやわびしさは、どこかに消えた。

 6年生から中学生時代は地域の高齢者のゲートボールに交ざり、早朝から夕方まで没頭。「はまり症なんでしょうね。みんな事情を理解し、優しく見守って接してくれた」と感謝する。

 15歳から壁紙職人として働いたが、親方の「大道芸人になりたいんやろ。うちに来ててええんか」という言葉にはっとし、18歳まで3年間、本やビデオで独学。「寝ている以外は練習していた」と思い返す。

 現在、大道芸人として主戦場の一つは思い出の海遊館。結婚式も海遊館で挙げ、両親も出席してくれた。4歳の長男にも恵まれ、兵庫県明石市の会社が各地で催すイベント「ロハスパーク」にも出演している。

 バルーンアート、水晶玉やテニスラケット、ボールのジャグリング…。「大声で人と話せなかった僕が人前で芸をしている。みんなびっくりする」と笑い、学校生活など生きづらさに悩む子どもに「学校がすべてじゃない。夢中になれることをして」と話す。

 コロナ禍にも、天候にも左右される仕事だが「僕の人生のすべて。大道芸って、他の目的で遊びに来て偶然出合うもの。僕のショーを見て好きになってほしいし、家で親子、きょうだいの会話の話題になればうれしい」と声を弾ませる。

 20日午後1時、同3時から加古川河川敷公園である「ロハスパーク加古川」でもショーを披露する。

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