先週からUEFAチャンピオンズリーグの準決勝で対戦しているACミランとインテル。同じミラノを本拠地としているライバルでありながら、多くの選手がこの両チームに所属しているという不思議な関係だ。
今回はそんな「ミランとインテル両方に所属したことが意外と忘れられている」7名の選手を取り上げてみよう。
マッテオ・ダルミアン
ミラン所属:2001~2009
インテル所属:2020~
マンチェスター・ユナイテッドでプレーしたことでも知られているイタリア代表サイドバック。現在もインテルに所属しているが、実はミランのユースで育った選手である。
10歳でミランの下部組織に加入し、16歳でコッパ・イタリアでデビュー。トップチームでも6試合でプレーしたものの、その後パドヴァへのローンを経てパレルモへと移籍。その後トリノでブレイクし、イタリア屈指の選手として知られるようになった。
マンシーニ
インテル所属:2008~2011
ミラン所属:2010(※ローン)
2003年に加入したローマで長く活躍したことで知られているブラジル人選手。攻撃的な右サイドバックであったが、セリエAではウインガーとして活躍。2004年にはブラジル代表の一員としてコパ・アメリカ優勝に貢献している。
そして2008年にインテルへ移籍するも、ジョゼ・モウリーニョ監督の信頼を受けられず。そして2010年にはミランに半年間だけローン移籍したが、あまり出場時間が与えられなかった。
パトリック・ヴィエラ
ミラン所属:1995~1996
インテル所属:2006~2010
無敗優勝を成し遂げたアーセナルの伝説的イレブン「インビンシブルズ」の中心選手であったパトリック・ヴィエラ。イングランドを離れたあとはイタリアに渡り、ユヴェントスとインテルでプレーしたことで有名だ。
ただ、カンヌのユースで育った彼が初めてフランスの外へ移籍したクラブはACミランだった。18歳で加入したものの、トップチームではわずか5試合しか起用されず、半年でアーセナルへと引き抜かれている。
ウミト・ダヴァラ
ミラン所属:2001~2002
インテル所属:2002~2004
2002年の日韓ワールドカップではベスト16で日本と対戦し、決勝ゴールを決めたウミト・ダヴァラ。モヒカンヘアーで話題になったトルコ代表MFは、実はミランからインテルに直接移籍した選手の1人。
2001年にガラタサライからミランに移籍したが、ファティ・テリム監督が解任されたために戦力外に。その後ダリオ・シミッチとのトレードでインテルに移籍したものの、すぐにガラタサライに貸し出され、さらにブレーメンにレンタルされたという不遇の時代を過ごした。引退後はフットサル選手、指導者、ラッパーと多岐にわたる活動をしている。
タリボ・ウェスト
インテル所属:1997~1999
ミラン所属:1999~2000
日韓ワールドカップで奇抜な髪型をして大きな話題になったナイジェリア代表のサイドバック。フランス・リーグアンのオセールでブレイクし、1997年にインテルへと引き抜かれた。
2シーズンを過ごしたあとは直接ライバルのミランへと移籍したが、出場したのはわずか4試合のみ。その後ダービー・カウンティに貸し出され、そのままカイザースラウテルンへと完全移籍していった。引退後は牧師として布教に努めている。
クリスティアン・ブロッキ
ミラン所属:1994~1998、2001~2008
インテル所属:2000~2001
タフな中盤のユーティリティプレーヤーとしてミランの黄金期を支えたブロッキ。もともとユースの出身で、一度放出された後に復帰してきたというキャリアを持っている。
その中で1シーズンだけ所属したのがインテルだ。マルチェロ・リッピ監督が率いた2000-01に加入したが、指揮官が解任されたために立場が変わってしまい、後に戦力外となってしまった。ブロッキ自身もその時代を「最悪の経験」と振り返っている。
クリスティアン・パヌッチ
ミラン所属:1993~1996
インテル所属:1999~2001
ローマで長くプレーしたレジェンドであるため、意外とミランとインテル両方でプレーしたという事実を忘れがちである。髪型にこだわるイタリアの伊達男ディフェンダーは、ファビオ・カペッロ監督に寵愛された。
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1993年に加入したミランでレギュラーを奪って活躍し、その後レアル・マドリーへ。そして1999年にインテルへと加入したが、リッピ監督とはあまりうまくいかなかったとか。チェルシー、モナコへのローン移籍を経てローマでカペッロ監督と再会している。