俳優・宮﨑香蓮さん「末永く保存を」 祖父の故康平氏作詞 島原高校歌の歌詞寄贈

祖父宮﨑康平氏が作詞した校歌の歌詞などを島原高に寄贈した香蓮さん(左)=同校

 島原市出身の俳優、宮﨑香蓮さん(29)が15日、同市の県立島原高(岩橋順弘校長、564人)を訪れ、「まぼろしの邪馬台国(やまたいこく)」の著作で知られる作家で祖父の故康平氏(1917~80年)が作詞した同校校歌の歌詞(複写)などを贈った。原本が残っていた県立島原農業高の校歌など合わせて計14校分を島原高に寄贈。紛失を防ぐため同校の校史資料室に一括保管する。

宮﨑康平氏が手がけた島原高の歌詞(複写)

 宮﨑さんは、康平氏の創作活動を口述筆記などで支え、93歳で亡くなった祖母和子さんの一周忌のため帰省中。宮﨑さんは「末永く保存してほしい」と岩橋校長に手渡した。「高校時代は大人になる前の多感な時期。祖父は失明という苦難の中、(生徒のために)前向きな詞を懸命に作り上げたのだと改めて感じた」と笑顔で話した。
 康平氏は前身の旧制島原中卒業生で、宮﨑さんも島原高64回生。宮﨑さんには祖父の記憶はない。しかし「在校時は合唱部だったのでよく歌っていた。『薔薇(ばら)いろの…』で始まる歌詞とメロディーがお気に入り」と、祖父が作った校歌について語った。
 関係者によると、康平氏は県内計15校の小中高校の校歌を作詞している。同校記念誌によると、49(昭和24)年に校旗・校歌制定が発議され、校内外から計74編の応募があったが、審査の結果、該当作「なし」。三つの佳作の中から一つを選び、康平氏に素材として提供し、作詞を依頼した。
 康平氏は「母校の校歌が出来るか出来ないかは、私にとって生きるか生きられないかの対決だった。失明してからはじめて作る歌。決して悲愴(ひそう)なものであってはならない。若い母校の生徒たちに希望と光を与えるものでなければならない」と記念誌に記している。
 校歌は昭和前期に活動した神戸市出身の作曲家、大澤壽人氏(1906~53年)の作曲を得て50年に校旗とともに制定された。現在も在校生や卒業生に愛唱されている。

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