“サミットって何?” こうして始まった 歴代の総理は… 広島サミットを前に わかりやすく解説(RCCラジオ)

いまさら聞けない “サミットって何?” 、“どんなことが話し合われるの?” といった基本情報や論点について、わかりやすく解説します。RCCラジオの特別番組に、サミットに詳しい 広島市立大学 国際学部の 武田悠 准教授をお迎えしました。

本名正憲 アナウンサー
またの名を「ドクター・サミット」と言われていません? サミット自体を研究されている方は、あんまりいらっしゃらないんじゃないかと。

広島市立大学 国際学部 武田悠 准教授
そんなに数は多くないと思います。もともと、わたし、日本外交の歴史をやっているんですけれども、時期的に1970年代から研究を始めたものですから、サミットは1975年に始まっているので、常に頭の中にありました。やっぱり日本にとって晴れ舞台なんですね。資料を見ていても常に出てきますし、当時の方の回顧録を見ても、みんな外交官が「いよいよ日本が名誉ある地位を占める」、「(国際舞台に)また戻ってきた」みたいな、そういう高揚感がありました。それで研究し始めたという感じです。

本名アナ
ある種、歴史学者でもいらっしゃるわけで、いろいろ公になった文章を探ってみて、おもしろいものでしょうね。

武田悠 准教授
いろいろ裏舞台がわかって、表できれいなことを言っていたけど、実は…みたいなことはけっこうあって、おもしろいですね。

本名アナ
実際、共同宣言なんか出るわけですけれども、過程でけっこう激しいやり取りがあったりするんでしょうか?

武田悠 准教授
いくらでもありますね。決裂寸前までいく。サミットの3か国がなかなか同意できなくて、最後の最後でようやく歩調がそろうとか、それこそ声明を出さずに終わろうかとか、反対している国のを除いて、ほかの国で出そうかとか、いろんなことを計算したけど、結局、最後は落ち着いたみたいなことは何回もあります。

本名アナ
なるほどね。トランプさんが大統領だったときもありましたよね。

武田悠 准教授
ロシアの扱いだとか、それこそサミットそのものをどう開くのかというところで非常にもめました。ですから、あの時代はこれまでで一番の危機だったと思います。あそこまでもめたことはなかったです。

本名アナ
写真を見てびっくりしますけど、トランプ氏が腕組みして、本当に「ふん!」みたいな感じで、そこを「まあ、まあ」と安倍晋三さんが間に入っているとか、そんな写真がありました。

武田悠 准教授
ああいう首脳同士のやり取りがあるというか、首脳が重要になるというのは、サミットの特徴だと思います。ほかの会議だと、ふつうは(事務方が)積み上げていく。サミットは、そうはいかない部分がどうしても残るっていう感じですね。

本名アナ
トップが集まる、それが、この広島の地で。

武田悠 准教授
いや、まさかこんな経験するとは思わなかったですね。サミットって研究をしていますけど、基本的には自分とは縁遠いものだと思っていたので、まさか自分の住んでいるところで開催されるとは思わなかったので、なんか怖さ半分、楽しさ半分っていう感じ。

本名アナ
そもそもサミットはどういった経緯で始まったのですか?

広島市立大学 国際学部 武田悠 准教授
1975年ですので、その2年前に石油危機というのがありました。中東諸国、アラブ諸国、石油をいっぱい持っている国とイスラエルとの間で何度も戦争していたんですけれども、その中で産油国の側が石油を武器として使うわけですね。自分たちの持っている石油の値段を上げたりだとか、今後、たとえばイスラエルを支援する国には輸出をしないかもしれないという脅しをかけてくるということがあった。これで日本国内だけじゃなくて、世界的にパニックになって、物の値段がたいへんなインフレになったわけですね。どの国も経済に大きな影響があって、それぞれの国でそれぞれバラバラに対処していると困ると。みんなで協力してやらないといけない。どの国も石油がないと困るし、かといって、たとえば1つの国が高いお金を出して石油を買おうとしたら、ほかの国がそのぶん減ってしまうので、迷惑をこうむってしまう。経済的にも同じように自分の国を守ろうとして、ほかの国に迷惑をかけるということは今と同じで、だんだんと世界経済がつながり始めた時期ですので、主な先進国が集まって、どういうふうに対応しようか話そうということで始まったのが、サミットでした。

本名正憲 アナウンサー
なるほど。トップ会談みたいなもんですよね。最初のサミットはカナダが入っていないからG7(先進7か国)ではなくて、G6。この「G」とは、どういう意味?

武田悠 准教授
Group of seven。英語だともう少しニュートラルというか、単純な意味になるんですよね。7か国の集まりみたいな感じになります。

本名アナ
その7か国に日本も入れていただきまして、ありがとうありがとうございますと国民としては思うわけなんですけども、“すったもんだ” があったんですか?

武田悠 准教授
水面下ではいろんな駆け引きがあって、最初、これを考え出したのはフランスとドイツなんですね。この2か国がやろうと。アメリカは入っていなかったんです。最初はヨーロッパのほう。アメリカは経済力からいっても、軍事力からいっても当時の西側諸国、民主主義とか資本主義とか自由市場経済という国々のリーダーなわけです。基本的には自分でやることは決めたいわけです。でも、ほかの国はアメリカにいろいろ好き勝手されると困るということもあるので、アメリカもほかの国も巻き込んで、こういうサミットみたいな枠組みを作っておくと、アメリカの暴走に歯止めをかけられるという面もある。こういう会議っていうのは、だいたい、ヨーロッパが提唱することが多いですね。昔からこういう主要国を集めるという会議は、ヨーロッパが、経験が非常に豊富なのでいろんなノウハウがあるということもあると思います。どういうふうにしたら、みんな集まってくれるか。

本名アナ
なるほどね。フランスとドイツの話の中で始まった。第2次世界大戦の戦勝国と敗戦国の間でというのは、戦争が終わってから時間も経っていますけれども、おもしろいのは、日独伊と英米仏なんですね。

渕上沙紀 アナウンサー
ああ、そうか。ほかにも入りたいっていう国はないんですか?

武田悠 准教授
ありました。当時からずっとサミットに対してそういう批判があるんです。一部の国だけが集まっている。自分たちを入れていないと。特にヨーロッパからは4か国出ているんですよね。フランス・ドイツ・イギリス、あとからイタリアも入ったんですけど、最初はイギリスまでだったんです。3か国で、アメリカも入れて「4」でやろうとしていたんです。そうしたらアメリカが日本を入れないとダメだと。経済力がすごく大きいから無視できないと。ヨーロッパは戦勝国であるわけです。日本に対して70年代当時、すごく差別意識もあるし、一方で経済摩擦も始まっていて、あんまりいい感情はない。本当に入れるの?というのをアメリカが説得して、日本が入るんですね。そしたらイタリアがへそを曲げる。つまり、ドイツが入っているのに何でうちが入ってないのって言い始めて、ほかにもいろいろ事情があったんですけど、さすがにイタリアにへそを曲げられると困るということでイタリアを入れたんですけど、ほかのスペインやオランダがうちはどうなると言い始めて、さすがにそこは断って、ようやく6か国で始めて、そうしたらアメリカがヨーロッパが多すぎるって言って、カナダを無理やり引きずり込んで、ようやくG7になったという感じで、本当に紆余曲折があったんですね。

本名アナ
参加国をめぐっても、G20があったり、グローバルサウス(新興国・途上国)といわれる国もあったり、変わってきていると思うんですが、いまだにG7に入れてほしいという国はいるんでしょうか?

武田悠 准教授
どうなんでしょうね。今はどっちかっていうと、G7以外の枠組みでという考え方の方が多いんじゃないでしょうか。G20という別の枠組みもあります。グローバルサウスという途上国・新興国、新しく出てきたインドや中国など、そういう国を巻き込んで、そっちの方でむしろやろうとしている、G7はもう古いという考え方で、2000年代・2010年代はすごく力を得た時期がありました。

本名アナ
開催地ですが、参加国以外の第三国でやったケースも珍しいもありますね。ベルギー・ブリュッセルサミットというのがありますが?

武田悠 准教授
これは、非常にイレギュラーだったんです。2014年です。このときはロシアが当時はまだ入っていて、「G8」だったんです。ところが、今、戦争をしているウクライナのクリミア半島をロシアが無理やり併合したということがあって、それまでにもすでにロシアとほかの西側諸国、アメリカ・ヨーロッパ・日本はいろんな対立があったんですけども、これでいよいよ、もうこの枠組みには入れておけないということでロシアをこのとき、外に出したというか。この年、ちょうどロシアでやる予定だったんです。で、やめようと。それをやってしまうと、ロシアのクリミア併合をあたかもG7が承認したかのように思われてしまうということがありますので、急きょ、ブリュッセルでやった。ブリュッセルは、いろんな国際機関の本部が置かれていて、特にNATO(北大西洋条約機構)というアメリカとヨーロッパとカナダの同盟条約みたいなものですね。多国間の条約があって、そこで開くことは、つまりロシアのクリミア侵攻に対する対応を話し合うんだというような意味合いもあって、ここで開催したということになるわけなんです。

本名正憲 アナウンサー
サミットの印象ですが、中曽根さん・安倍さんあたりが強かったかなと。

広島市立大学 国際学部 武田悠 准教授
そうですね。最近だと安倍さんはやっぱり(任期が)長かったってのは、なによりも大きいですね。特に後半になると、ほかの国の首脳より安倍首相の方がよっぽどG7サミットのことに詳しいっていう状況になるので、トランプ大統領になんとか説得して譲歩を迫る役を安倍さんが担ったっていうのは、安倍・トランプ関係ももちろんあるけれども、安倍首相の経験というものをすごく生きていたと思います。やっぱり外交ってのは、長くやった人の方がいいんですよね。中曽根首相・安倍首相は、経済ではないんですけど、安全保障の方でけっこうサミットの中で大きな役割を担ったっていう感じがします。

本名アナ
岸田さんについてはこれからということになりますけれども、外相経験が豊富ということで期待してよろしいですか?

武田悠 准教授
と思います、わたしは。外相経験が長いというだけじゃなくて、ご自身で熱心に核の問題を中心に勉強されていらっしゃるし、あと英語がけっこう上手なんですよね。聞いていて、とても自然な英語の使い方をしていて、ネイティブじゃないんですけど、すごく聞き取りやすい英語をしゃべっておられて、おそらく岸田首相ってたぶん、ほかの外国の人と英語でしゃべるのに抵抗感がないんじゃないかなと思います。サミットのように首脳の力が試される場では生きるんじゃないかなと思います。

本名アナ
広島選出という点、あと英語に堪能というと、宮沢喜一さんが思い浮かぶんですけど。

広島市立大学 国際学部 武田悠 准教授
そうですね。宮沢さんの英語っていうのは非常に有名で、たとえばイギリスの外務省の資料とかを見ていると、サミットを日本でやるというときにやっぱり英語が不安だよねというのが残っているんですね。イギリスらしい嫌味な言い方をしているんですけど、はたして日本外務省にその声明文書は書けるのかみたいなことを書いていて、それは外務省の人だからだいじょうだろうと思うんですけど、イギリスに言わせると、おかしな英語が時どき、出てくるそうで。ただ、例外は宮沢喜一さんで、たとえば首脳同士の話し合いになったときにどうするんだと。いや、宮沢がついてくれるからだいじょうぶじゃないかみたいな文書が残っていることがあるんです。そのくらい、宮沢さんの英語は信頼されていた。ただ、宮沢さん自身、首相としてサミットに出たときの評価って不思議とあんまり高くないような印象があります。もしかしたら宮沢内閣は、自民党政権の一番最後、1993年に崩壊する直前でした。国内的にやっぱりあまり力がなかったので、いろいろと小沢一郎さんとか、はい。自民党のほかの政治家が力を握っていたっていうことは、もしかしたらあるかもしれません。つまり、実権を誰が握ってるのかが不透明というときには、いくら英語がうまくても、なかなかということはあると思います。

(RCCラジオ「おはようラジオ50周年企画 G7広島サミット直前スペシャル 広島の声」5月14日(日)放送より)

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