JR廃止後のまちの姿は 留萌はモンベルと連携も

今週は北海道の鉄道網と、廃線後のまちづくりについて考える。1964年には約4000キロだった北海道の鉄道網は、廃止が相次ぎ現在は半分余りに減少している状態だ。スタジオには、ことし3月にJR留萌線の一部区間が最後の運行となった、留萌市の中西市長を招いた。

【JR留萌線は一部区間廃止に…モンベルとアウトドア観光へ】

ことし3月のJR留萌線の恵比島駅。多くの人たちでにぎわっていた。

連続ドラマの舞台にもなったこの駅舎では、留萌線の廃線を惜しむイベントが。各地から鉄道ファンが訪れ、駅到達記念証を受け取っていた。

空知の深川駅と日本海側の留萌駅を結ぶ留萌線。開業は1910年。このうちの石狩沼田-留萌間がことし3月末に廃線に。残りの区間も3年後をめどに廃線となる見通しだ。

今回廃線となった区間の7つの駅の一日当たりの利用者数は1人以下が3駅、3人以下が3駅。終着の留萌駅など一部をのぞいた駅はほぼ利用者がいない状態だった。

その要因のひとつが、鉄道と並行して伸びる高規格幹線道路「深川留萌自動車道」。3年前に全線が開通。車移動の利便性が大幅に向上し、鉄道のニーズが薄れてしまったのだ。

最終運行日の3月31日。終着駅の留萌駅は人であふれかえった。

JR廃線後のまちはどうなるのか。留萌では新たな動きが。

留萌駅と道の駅の間に広がる広大な芝生。旧国鉄の資材置き場として使われていた場所だ。今は市民の憩いの場。名称は「モンベルアウトドアヴィレッジ構想るもい」。まちづくりに関する協定を2年前に結んだアウトドア用品大手モンベルの提案をもとに、観光の拠点となる場所を作る構想だ。

中心にはコテージを整備。テントを張れるエリアやキャンピングカーで車中泊できるスペースも作る計画だ。まずは26年度に大型店舗を開業させる予定だ。

【廃線・バス転換から4年 夕張の現状は?】

先月下旬の夕張。かつて石炭を運んでいた車両を保存する会のメンバーが、冬の間、閉鎖していた車両を一般公開するため準備を進めていた。

保存会のメンバーの1人、今井さん。かつては炭鉱夫だったが、閉山後は夕張に本社を置く夕鉄バスの乗務員として勤務。去年まで働いていた。夕張の交通の歴史や現状を良く知る人物だ。

1960年代に10万人を超えていた夕張市の人口は、2014年に1万人を割りこみ、現在は6000人ほど。鉄道の利用者数も激減し、2019年4月、JR石勝線の新夕張駅と市の中心部を結んでいた夕張支線が廃止された。

そんな夕張なのだが実は、鉄道を生かしたまちづくりにチャレンジしたことがある。スキー場と巨大ホテルが隣接するマウントレースイ。ホテルの入口を出るとそこにはかつての夕張駅の駅舎が。ホテルは夕張支線廃止の翌年に閉鎖。それと同じタイミングで市が10億円をかけ整備したのが、新たな住民の足となるバスが乗り入れる複合施設「りすた」だ。

市内を走るバスの路線図を見るとルートは一本のみ。この他、札幌などを結ぶ長距離ルートがある。

しかし、その望みのバス路線も過疎のマチでは縮小を余儀なくされているのが実情。夕鉄バスは夕張と新札幌駅前を結ぶ長距離路線を今年10月で廃止すると発表した。そこにあったのは、利用者の減少とドライバー不足の問題だ。

【福島県には11年ぶりに復活した鉄路「只見線」が】

福島県 会津若松市。ここに、奇跡の復旧を遂げたと言われる鉄路がある。「JR只見線」。会津若松市と新潟県の魚沼市までの135キロを結ぶ路線だ。

奥会津と呼ばれる山深い地域を走る列車は「秘境絶景列車」と呼ばれ、日々の利用者こそ少ないが、根強いファンが多い。

2011年7月、只見線は存続の危機にさらされた。「新潟・福島豪雨」災害で3つの橋と線路が流される被害が出たのだ。

JRから沿線自治体に示された只見線の復旧費用は約90億円。さらに被災前の只見線の赤字が年間数億円に上っていることも伝えられた。それでも、地域にとってはシンボル的な存在。地元でも一定の負担をして復旧をしていくことを決めた。

復活の契機となったのは、SNSだ。絶景と鉄道を撮影した写真が、外国人の心を掴み、海外からの観光客が急増した。JRと沿線自治体の協議が重ねられ、去年10月、只見線は被災した不通区間の工事を終え、11年ぶりに全面復旧した。

かつては地域の足として重要な役割を果たしてきた鉄道。地域住民の暮らしを守りつつ、まちづくりも見直さなければならない。
(2023年5月20日放送 テレビ北海道「けいナビ~応援!どさんこ経済~」より)

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