“伸ちゃんの三輪車” 展示に託した遺族の思い「核の恐ろしさを知って…」原爆資料館をG7首脳が訪問

G7の首脳が訪れた原爆資料館…。原爆の犠牲になった人たちの遺族が、「核兵器が何をもたらすかを知ってほしい」という思いを託した遺品が展示されています。

各国の首脳が原爆資料館(広島市中区)へ次々と入っていく様子を、テレビ画面越しに見守っているのは、広島市に住む 鉄谷敏則 さん(74)です。

鉄谷さんの「兄」は、いまも原爆資料館で被爆の惨状を伝え続けている「伸ちゃんの三輪車」の持ち主・鉄谷伸一ちゃんです。当時3歳だった伸一ちゃんは、爆心地から1.5キロの自宅前で三輪車で遊んでいたときに被爆しました。顔はやけどではれ、「水をくれ、水をくれ」とうめき声をあげていたといいます。

伸一ちゃんの父 鉄谷信男 さん(当時82歳)
「水を飲んだら死ぬるから、がんばってくれと。でも、その晩に死んでしまうわけでございます」(原爆資料館の証言ビデオより)

父の信男さんは、伸一ちゃんをいつも遊んでいた三輪車とともに、自宅の庭に埋葬しました。そして、そこに顔が似ているという地蔵を置き、毎日、手を合わせていました。

被爆から40年後、家族が集まり、伸一ちゃんを掘り返しました。戦後生まれた敏則さんもその場にいました。「子どもなので、骨は残っていないかもしれない」と言われていましたが…。

鉄谷敏則さん
「(骨は)出てこないかもしれないと思いながら掘ってたら、けっこう骨が残っていた。白さも残りつつ、形も残りつつ、ずっと出てきて。三輪車もかなりさびてましたけど、形が残っていて」

頭の骨も残っていて、それを見たときのことについて信男さんは、こう語っていました。

伸一ちゃんの父・鉄谷信男さん(当時82歳)
「伸一は私に向かって『お父ちゃん、年取ったな』って言ったような気がした」(原爆資料館の証言ビデオより)

伸一ちゃんの遺骨は墓に。三輪車は、世界に核兵器の恐ろしさを知ってもらうためにと、原爆資料館に寄贈しました。そして、信男さんは、伸一ちゃんへの思いなども語っていきました。

鉄谷敏則さん
「伝えたいけども思い出したくない。でも、伝えるためには思い出さないといけない。それをあえて思い出すということをしていた」

敏則さんは、原爆資料館にある遺品は、こうした遺族の気持ちが詰まっているといいます。G7の首脳が資料館で何を見たのかは明らかになっていませんが、首脳が来たことで、多くの注目が集まることに期待を寄せます。

鉄谷敏則さん
「広島の人は『(展示を)見てください、(被爆証言を)聞いてください』と言っているから、各国の首脳が、それを見に来てくれたというのは、父親も喜んでくれると思います」

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