ヨバレの輪島塗に別れ 御膳60組、災害ごみに

災害ごみとして捨てた朱塗りの御膳=11日、珠洲市蛸島町

  ●「おやじの形見」泣く泣く 蛸島町の85歳砂山さん、土蔵解体

 珠洲市を襲った震度6強の地震から19日で2週間となり、同市蛸島町の砂山秀(ひで)吉(きち)さん(85)は、「おやじの形見」である輪島塗の高級御膳60組を「災害ごみ」として泣く泣く捨てた。ごちそうで客をもてなす「ヨバレ」に使われていた御膳を保管していた土蔵が、地震で傷み、解体せざるを得なくなった。大きな揺れは古きよき能登の風習を象徴する「家の宝」も失わせた。

 「もう使うこともないから、後ろ髪引かれるけど捨てたんや」

 砂山さんは御膳を捨てる際、朱漆や黒漆の光沢のある輪島塗を長く見ていると決心が揺らぐかもしれないと思ったという。そこで御膳や食器を木箱にそっとしまい、二度と開けないように縄で頑丈に結んで、災害ごみの仮置き場に出した。

 5日の地震で、砂山さんの自宅も壊れそうなくらい揺れたが、幸いにも大きな被害はなかった。ただ築約100年の土蔵は壁にひびが入り、土壁の土は落ちて内部がむき出しになった。

 「このままではいずれ倒壊するかもしれん」と不安を感じ、取り壊すことを決めた。「連絡した業者は忙しくて、いつ来てくれるか分からん」と言い、土蔵の品々の整理に取りかかった。その時、亡き父・藤吉さんの遺品である御膳が目に入り、思い出が鮮明によみがえってきた。

 藤吉さんは早くに父を亡くし、生活は楽ではなかった。しかし、地元の高倉彦神社の秋祭りが行われる9月10日にはヨバレを欠かさなかった。昭和40~50年代には30人以上が砂山さん宅に集まり、御膳の前で料理と酒と会話を楽しんでいた。

 今回捨てた御膳は1976(昭和51)年ごろ、藤吉さんがもっとヨバレを楽しんでもらおうと、買い足したものだという。砂山さんは「金額は聞いとらんけど、相当奮発して買(こ)うたんやろう」と振り返る。

 ただ、ヨバレは昭和60年代以降は過疎化も進み、規模が縮小した。料理を仕出し店に注文するようになると、店からプラスチックの御膳が提供されるようになり、砂山さん宅の輪島塗の出番も徐々に少なくなっていった。

 砂山さんは「御膳には楽しかった宴会の思い出もある。もう、こういう御膳を使う時代じゃないから仕方ないわ」としんみりと話した。

 ★ヨバレ 祭りの時に親戚や友人、仕事で付き合いのある人を招いてごちそうを振る舞う奥能登の風習。能登の豊かな山海の幸や温かなもてなしの心を伝える、うるわしい習わしだが、近年は行う家庭が少なくなっている。

傷んで土壁がはがれ落ちた土蔵

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