被爆者、核なき世界を G7広島 茨城県内、世代超え願い

被爆当時の様子を振り返る茂木貞夫さん=水戸市緑町

先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)が19日、被爆地の広島市で開幕し、核兵器を保有する米英仏の首脳らが被爆の実相を伝える原爆資料館を視察した。茨城県の被爆者や若い世代は「核なき世界」に期待した。

■体験語り継ぐ 水戸の茂木さん

県原爆被爆者協議会の会長代理、茂木貞夫さん(89)=水戸市=は19日、原爆の恐ろしさについて語り、「二度とあのような目に遭う子どもがいてはならない」と力を込めた。

小学6年の時、爆心地から約1.3キロの広島市吉島町で被爆した。当時は、刑務官を務めた父親と家族5人で広島市の官舎で暮らしていた。

「あの日」は、友人2人と登校中だった。橋にさしかかった時、眼前に閃光(せんこう)が広がった。「ピカーッと光って、後は真っ暗闇。気が付くと塀の下敷きになっていた」。起き上がると、道の反対側まで吹き飛ばされていた。友人を呼んだが、返事はなかった。

夢中でわが家に戻ると、妹に再会した。声をかけたものの、妹は最初気付かなかった。茂木さんの髪は全て焼け、顔がただれていたためだ。

家屋は倒壊したが、両親や年の離れた弟も無事だった。ただ、茂木さんは寝たきりになり、生死の境をさまよった。ようやく起き上がれるようになったのは原爆投下から4カ月余りたった1945年12月末。その後、46年3月に父親の実家がある潮来市に家族で移り住んだ。

茂木さんは、現在も戦争の「生き証人」として各地で講演活動を重ね、自身の体験を語り継ぐ。左腕や首には今も痕が残るが、あの日から胸に刻む言葉は常に変わらない。「悲惨な、人が殺し合う戦争はあってはならない」

■核軍縮推進を 水戸市平和大使

広島市で昨年8月6日に開かれた広島平和記念式典に参列した小中学生「水戸市平和大使」は19日、G7広島サミットを契機に、改めて世界平和の実現を願った。

水戸四中3年の吉川和花さん(14)は、資料館で黒い影が地面や壁に残った写真を見て「恐ろしくなった」と振り返る。G7首脳には「広島に訪れた意味を示し、核軍縮を推進してほしい」と期待を寄せた。

稲荷第一小6年の坂本馨君(12)は「原爆で多くの人が亡くなり、生き残った人も放射線障害で苦しんでいる」と指摘。世界では今なお戦争が絶えないが「話し合いで解決してほしい」と求めた。

同中3年の綿引優花さん(14)は、「戦争は一般人や土地にも大きな被害を残す。実際に使わなくても核の脅威をちらつかせることがあってはならない」と訴えた。

広島訪問で学んだことをまとめた資料を見る坂本馨君=水戸市大串町

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