“核兵器 使われなくなる日まで” 体験を証言 田中稔子さん(84)「綾瀬はるかさんと若者たちのこと」G7広島サミット

これまでに90か国以上で被爆証言の活動を続けている 田中淑子 さんです。6歳のときに爆心地から2.3キロで被爆した田中淑子さんは、腕や頭にやけどを負いました。家族は無事でしたが、多くの友人を原爆に奪われました。

田中さんは、70歳のとき、ピースボートに乗船したことが証言を始めるきっかけになりました。これまでに90か国以上で被爆証言をし、ことしもアメリカに渡り、自身の体験を伝えました。

さらに7年ほど前には、国内外の人を招き入れるため、自宅に交流スペースを設けました。若い世代とも積極的に交流し、次の世代へも思いを紡いでいっています。

また、七宝焼作家でもあり、作品を通じても核兵器廃絶と平和を訴えています。

青山高治 キャスター
幅広い活動されている田中さんですが、ここまでG7広島サミットをどのように感じていますか?

被爆者 田中淑子 さん
とてもうれしいですね。広島で、平和の地で各国の今、戦争をどうしようかって言っている人たちが集まるということは、もしかしたら方向転換がちょっとでもできるような場に向かう、そういうことが広島の地で起こったらうれしいなと、非常に期待しつつも、ドキドキしながら、ダメかなと思ったり、非常に今、危機感と希望が、ない交ぜになっております。

青山高治 キャスター
本当に幅広い世代をご存知で、いろんな国で被爆証言の活動をされていますけど、そんな田中さんだからこそ感じる部分があるんでしょうね。

被爆者 田中淑子 さん
被爆証言というと、わたしは70歳からやっと始めたんですけど、聴衆の方がたの反応が変わってくるんですね。今までは、原爆は落とすのは仕方がないっていうような人もいたんですけれど、アメリカでは特にそういうふうにおっしゃっている。ところが、4月にアメリカに行って、大学でお話したとき、みなさん、ロシアのプーチンさんのことがありますから、みんな、自分ごとにちょっとなって、やっと時間が…。今の持っているのも危ないんじゃないかとたいへん反応が違う。

政治ジャーナリスト モーリー・ロバートソン さん
そう、そう。やっと、そこまで来ましたか。

被爆者 田中淑子 さん
だから今、政治をやる方は、ちょっと若い方の方向に少し変わらない。全然、違ってきました。イェール大学でスタンディング・オベーション…

モーリー・ロバートソン さん
本当にもちろん、原爆はたいへん大惨事だったんですけど、このような進歩があったことは本当にうれしく思いました。この若いアメリカのミレニアム世代・Z世代と呼ばれる人たち、実は投票率は少しずつ上がっています。そうすると、選挙が4年ごとに大統領選ありますよね。そういう方たちが増えていくにつれて、立候補する人もその有権者の方を向かなきゃいけないから、昔の古い考え方で「原爆はアメリカの正義だった」なんて言って当選できる人がいなくなる。アメリカが変わってしまえば、世の中は変わると思います。みなさんのおかげです。

被爆者 田中淑子 さん
いや、先輩のおかげです。ずっと78年間、みなさん、経験を話し続けて、わたしはもうあとから、やっと70歳で始めたんです。そのときまでトラウマがありまして。

青山高治 キャスター
そういう変化を感じてきて、ここへきて、被爆地・広島でのサミット開催ってのは本当にタイミングが大きかったですね。

被爆者 田中淑子 さん
うれしいです。タイミングも大きいですね。だから、これは岸田さんの本当に快挙だったと思うんですね。でも、これを最終的には、やはり平和の方に持っていって、やっぱりすごいね、すごい政治家だなとか言っていただけるような成果を出してほしいですね。せっかく、ここでやるんですから。

綾瀬はるかさんと考える 平和や未来

田中さんは、広島市出身の 綾瀬はるか さんと交流があります。TBS「news23」で10年以上にわたり、自身の祖母をはじめ広島・長崎の被爆者や戦争を体験した人たち60人以上の声に耳を傾けてきた綾瀬さんに、田中さんも体験を語っています。また、広島サミットをきっかけに開かれた、中高生が平和について考えるイベントにも綾瀬さんと田中さんは参加しました。

河村綾奈 キャスター
田中さんは、イベントの中で綾瀬さんの隣りに立って、若い世代のみなさんにメッセージを伝えられましたけれど、綾瀬さんの印象はいかがでしたか?

被爆者 田中淑子 さん
(綾瀬さんは)親族が広島の原爆に遭っておられるそうで、非常に平和への思いが強いんです。女優さんでちょっと珍しく、一生懸命、平和活動を推進していらっしゃる方ですね。2回、お会いしたんですけど、「田中さん、少しやせました?」って、うれしい言葉を言ってくださって、すごいですよね。「いや、500グラムやせました」って。そんなふうに気さくに一生懸命、まじめなんですね。(イベントで)わたしにはメイクさんが付いていなかったので、彼女、わたしのヘヤーを一生懸命直してくれて、ここに来て…。

最後に申し上げたんです。「女優さんとして、年を取っても社会問題に関わっていらっしゃるオードリー・ヘプバーンみたい方になってほしいな」と言ったんです。彼女、どうもまんざらでもないらしくて。わたし、オードリー・ヘプバーンの、ちょっと絵を書きますので鉛筆画をね、「これ、要る?」って言ったら、「要ります」って持って帰られました。

河村綾奈 キャスター
すごい、すっかり仲良しに。綾瀬さんのような方が、若い世代に向けて平和を発信されることってすごく大切なことですね。

被爆者 田中淑子 さん
これは大きいですね。若い方、中高生が主に集まられたんですけど、みなさん、綾瀬さんに質問したいっていう前に、原爆のことを質問したいっていう、それでわたしにすぐ質問が来たんですよ。ふつうなら女優さんに来ますよね。女優さんにももちろん来るんですけど、こういうときに若い人ってやはり原爆の問題にすごく関心を持たれてきてるなと、わたしもちょっと驚いたんですね。

青山高治 キャスター
そのあたりは瀬戸さんも感じたりされますか?

シンガーソングライター 瀬戸麻由 さん(核兵器廃絶をめざす「カクワカ広島」)そうですね。わたしたちだからこそ、できることって何だろうって、すごく考えていて、この間もサミットの中の被爆者の方の声を伝えるっていうのは、昼間にきのう起こっていたわけですけど、夜中に出てきた広島ビジョンっていう核軍縮に関する文書、その内容を見ると、あまり政府のこれまでのことと変わらないことが書かれていたりはして、すごく、そこを残念に思う部分もあるんですけど、政府の人たち、リーダーたち任せにせずに、わたしたちも1人ひとりできることって何だろうっていうのをこの間も、そのあとも考えて行動していかないとなと思っています。

河村綾奈 キャスター
カフェ「ハチドリ舎」のお客さんたちは若い世代の方も多いと思うんですけど、平和についての議論はいかがですか?

瀬戸麻由 さん
いろんな国がいろんな背景を抱えた方が来られるんですけど、やっぱり被爆者の方と直接会う中で、本当に心が動いて、涙する方もたくさんいらっしゃいますし、何か、そういう1つひとつの交流を大切に作っていきたいなと思っています。

青山高治 キャスター
田中さんは、日々の被爆証言の活動の中で一番大切にされていることは?

被爆者 田中淑子 さん
やはり個人ができることですね。わたしも力はないものです。ただ、被爆証言をするっていうことが、唯一のわたしのできることですね。だから、被爆証言をすることで、もしかしたら核兵器が使われなくなる世の中が少しでも近づく、その日がわたしは被爆証言をやめる日なんですね。そのやめる日が近づくために証言をしております。本当はしたくないです。

青山高治 キャスター
90か国以上ですから、本当にいろんな種をまかれている。

被爆者 田中淑子 さん
そこはちょっと申し上げたいんですけど、国名でいうと83か国、

政治ジャーナリスト モーリー・ロバートソン さん
それでもすごいわ。なんというパワーだ。

被爆者 田中淑子 さん
地域が入っています。アラスカとアメリカに行ったときに、あと台湾。

モーリー・ロバートソン さん
いや、いや。ですけどね、例えば、被爆された方というのは、たいへんな思いをされて、心のトラウマ、体の傷もありますが、トラウマもあったりしますよね。そこをおして、乗り越えてでも、ちゃんと世界に伝えていこうとするその心意気ですね、みなさんの持っている力と勇気、それが長い年月の間、連結して、今のこのサミットも実現したとわたしは見ています。

青山高治 キャスター
注目は、ウクライナのゼレンスキー大統領の広島訪問なんですが、この一報を聞いたとき、田中さんはどんなことを感じられました?

被爆者 田中淑子 さん
ゼレンスキーさんが来られると、「軍備をお願いします。みんなで戦争が、ウクライナが勝つようにがんばりましょう」っていうふうにだんだん軍拡していくような気がするんですね。でも、わたしは、もしかして広島の地にわざわざ来られたということは、希望的に裏を読むんですね。それで、もしかしたら、もう戦争はね、みんな、たくさんだと。これ以上、殺してもね、今、大きな戦闘を用意しているっていいますけど、その前に平和の方向へちょっと話を持っていこうじゃないかというようなことが、もし広島で行われたら、わたしは生きていて、一番よかったと思うことだと思いますけどね。でも、また、ここで軍拡の話が出ましたら、がっかりしますね。

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