狙えるぞ大迫!「1シーズン30得点以上」決めたJリーグの超ストライカー5名

ヴィッセル神戸のFW大迫勇也が20日の試合でゴールを決め、今シーズン14試合目にして二桁の10得点に乗せた。

昨年のJ1リーグは、チアゴ・サンタナ(清水)が14ゴールで得点王に。寂しい数字だっただけに今年はハイレベルな争いに期待したい。

そこで今回は、過去Jリーグで1シーズンに30ゴール以上を記録した選手たちを見ていこう。

フランク・オルデネビッツ (ジェフ市原)

1994年:40試合30得点(ジェフ市原)

Jリーグの歴史で一番最初に30ゴールを達成したのは、オッツェの愛称で知られた元西ドイツ代表のフランク・オルデネビッツだ。

オッツェは1980年代に奥寺康彦らとヴェルダー・ブレーメンで活躍、ブンデスリーガ制覇も経験したトップ選手だった。

しかしケルン時代の同僚だったリティことピエール・リトバルスキの誘いにより、Jリーグ開幕元年の1993年2ndステージにジェフ市原へ。

2年目の1994年に30ゴールを記録し、28ゴールのアルシンドを上回って得点王に輝いた(ただ得点王を獲得しながらもベストイレブンに選出されず、シーズン終了後にドイツへと帰国している)。

福田 正博(浦和レッズ)

1995年:50試合32得点(浦和レッズ)

ミスター・レッズこと元日本代表の福田正博は日本人最初のJリーグ得点王であり、30得点以上を決めた人物である。

1995年は前期・後期それぞれ26試合(計52試合)という恐ろしくタフなシーズンで、エースの福田は50試合を戦い32ゴールを決めた。

ちなみに32ゴールのうちの14点がPKによるもの。福田はPK職人として知られ、PKによるJリーグ通算26ゴールは遠藤保仁、大久保嘉人に次ぐJ1歴代3位となっている。

余談だが、福田はブラジル代表から最初にゴールを決めた日本代表の選手でもある。

サルヴァトーレ・スキラッチ(ジュビロ磐田)

ユヴェントスとイタリア代表で一緒にプレーしたスキラッチ(左)とバッジョ(右)

1995年:34試合31得点(ジュビロ磐田)

福田正博と同じ1995年に31得点を決めたのは、トトの愛称で知られた元イタリア代表のサルヴァトーレ・スキラッチだ。

ユヴェントスで活躍しイタリア代表入りしたストライカーは、自国開催となった1990年ワールドカップで6ゴールを記録し大会得点王に輝いた。

ただその後は不調に陥り、インテルを経て1994年にジュビロ磐田へと加入。すでにキャリアの終盤にあり、良い条件を提示されたことで移籍を決めたという。

加入翌年の1995年には得点ランクの首位を快走した。しかし負傷離脱中に福田に逆転を許し、31点を決めながら得点王を逃している。

中山 雅史(ジュビロ磐田)

1998年:27試合36得点(ジュビロ磐田)

ワールドカップが開催されるシーズンは選手たちのパフォーマンスが向上することも珍しくない。

日本代表が悲願のワールドカップ初出場を果たした1998年も得点の“インフレ化”が起きた。中山の36得点を筆頭に、城彰二が25得点、柳沢敦が22得点といずれもキャリアハイの成績を残した。

この年の中山は、ギネス記録に認定された4試合連続ハットトリック(2016年に破られている)など大暴れし得点王とMVPをW受賞。ワールドカップでは日本の記念すべき初ゴールも決めた。

そんなレジェンドは、今シーズンからJ3・アスルクラロ沼津の指揮官に就任している。

アラウージョ(ガンバ大阪)

2005年:33試合33得点(ガンバ大阪)

アラウージョはガンバ史上最高、あるいはJリーグ史上屈指の助っ人外国人といえるだろうか。

もともとブラジル代表入りも期待されるほど爆発力のあるFWだったがムラっ気があり、また小柄で体重も軽く、フィジカル的に難があった。

日本ではそのウィークポイントが軽減され、清水を経て2005年に加入したガンバ大阪で大爆発。33試合33得点という異次元の成績で得点王とMVPに輝いた。

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翌年はセレソン入りに微かな望みをかけ国内へと復帰する。しかしすぐに大怪我に見舞われ、ワールドカップ出場の夢は絶たれてしまった。

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