女子アメフトの先駆者は外資系保険会社の執行役員!プルデンシャル生命・長谷川尚子さん 元ボディービル女王の顔も【47NEWS TURNOVER】

今年の「ライスボウル」でコイントスをする長谷川尚子さん

 ベージュのスーツを着て颯爽とフィールドを歩く158センチの体が大きく見えた。
 1月3日に東京ドームで開催されたアメリカンフットボールの日本選手権(ライスボウル)で、試合前のコイントスを任された長谷川尚子さんは、大会の特別協賛社であるプルデンシャル生命保険の執行役員で、本格的な女子アメフトチームの草分け的存在「レディコング」の中心選手として活躍した経歴を持つ。(共同通信=宍戸博昭)

 ▽周囲が気付いたバーベルを持ち上げる才能

 富士通とパナソニックのライスボウルを「いい試合だった。社会人同士の対戦になって良かったと思う」と、レベルの高い攻防に満足げだった。
 毎年ライスボウルが行われる1月3日は、長谷川さんの誕生日。ここにもアメフトとの縁が垣間見える。
 東京の渋谷区で生まれた長谷川さんは、大手建設会社に勤務していた父・高彦さんの仕事の関係で2歳の時にマレーシアに移住した。
 幼稚園と小学校4年までは日本に戻って学校に通ったが、その後は再び海外のリゾート開発に携わる父親の転勤でオーストラリア、フィジーで過ごした。大学は得意の英語を生かして、独協大の外国語学部英語学科に進む。
 海外の学校には部活というものがなく、スポーツは「オーストラリアでテニスと水泳をしていた」という。
 「早稲田大の柔道部出身の父親は、私を柔道選手にしたかった。兄と弟より向いているといつも言っていた」

ボディービル選手時代の長谷川尚子さん(本人提供)

 本人もその気になり、大学生の時に柔道の練習と並行してウエートトレーニングに取り組むようになる。
 バーベルを持ち上げる才能に気付いた周囲から、パワーリフティングの大会に出ることを勧められる。

全日本ボディービル選手権で優勝しポーズを取る長谷川尚子さん(本人提供)

 パワーリフティングはデッドリフト、スクワット、ベンチプレスなどの記録を競う競技だ。まずは実業団の大会に出て、その後は全日本選手権に出場。48、52キロ級では一時日本記録を保持していたという。

 パワーリフティングの次はボディービルだ。膝を痛めたこともあり、無理なくウエートトレーニングができるボディービルでも、20歳で初めて出場した東京都大会で優勝。「減量が嫌で参加するつもりはなかった」という全日本選手権で7位になり、23歳だった4年目に優勝して引退した。

 ▽「大事なお客様に勧められない商品は売らない」

 アメフトとの出会いは、新卒で就職した東京都内のトレーニングジムでトレーナーをしていたときだ。長谷川さんが指導していた社会人アメフトチームのトップ選手から「女子チームを立ち上げる話がある。プレーヤーとして参加しないか?」と声をかけられた。
 元々格闘技に興味があった長谷川さんは、まず人集めから取りかかる。そして誕生したのが「レディコング」だった。
 コーチには、関学大の元名選手らが就任し熱心に教えてくれたそうだ。長谷川さんはランニングバック(RB)、ディフェンシブエンド(DE)をメインにクオーターバック(QB)、セーフティー(SF)などあらゆるポジションをこなし、主将としてチーム運営の先頭に立っていた。
 「25歳からアメフトを始めて、37歳でプルデンシャルに入った。チーム活動が中止になり2年ほどで一旦やめたが、引退した人たちを集めて40歳を過ぎてからまた試合をした。アメフトは面白く、本能で動く自分に合っている。特にディフェンスは」という。

女子アメリカンフットボールチーム「レディコング」時代の長谷川尚子さん(34)=長谷川尚子さん提供

 生命保険会社での仕事ぶりもまた、バイタリティーにあふれている。
 「転職したとき、プルデンシャルと聞いて分かる人は少なかった。自分の可能性を、どれだけ他人に評価されるのか。自分を試したかった」と話す長谷川さんのモットーは「大事なお客様に勧められない商品は売らない」である。
 長野支社長などを経て、ライフプランナー(営業職)出身の女性として初の執行役員になったが、まだまだ女性の活躍の場は少ないという。
 「女性が働きやすい職場=男性も働きやすい職場」が持論だ。アメフト選手時代から「自分は背中で見せるタイプ」だという。仕事ぶりを見せてこそ、人はついてくるのだという言葉には、説得力がある。
 「転職者がほとんどのこの会社には、誰にでもチャンスがある。みんなに人生を変えるチャンスをあげたい」
 社員の人生に関わる管理職として大切な要素に「誠実さ」「公平さ」「傾聴力」を掲げるのも、その延長線上にある。

 ▽アスリート、社会人で一流目指す

 オフの楽しみは雄のトイプードル2匹、ショーくん(8才)とリクくん(6才)と過ごす時間だ。「あの子たちはかけがえのない家族。ゴルフに行くときも一緒」と溺愛している。
 忙しい中で時間をつくり、フラッグフットボールで汗を流す。慶応大のOBで構成するチームに参加し、練習や試合にはできる限り顔を出すのだという。

インタビューに答える長谷川尚子さん=東京・赤坂のプルデンシャル生命保険本社

 「20代中盤でアメフトと出会って、今もフラッグという形でフットボールに関わっている。人生の中でアメフトの存在は大きく、そこで築いた人脈は宝物。知り合った誰かと誰かが必ずつながっていて、営業の仕事にも大いに役立っている」という。
 ナンバー「34」。選手時代に好んで付けていた番号は、かつてNFLと大リーグの両方で活躍した「二刀流」の名選手ボー・ジャクソンに由来している。
 自分の可能性を信じて努力し、結果を出す。アスリート、そして社会人として常に一流を目指してきた長谷川さんは、前職であるトレーナーとして所属していた会社の親会社である、大手不動産会社の社外監査役に就任する予定だ。

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