17歳の息子は暴行を受け死亡した 犯人は23年後の今も捕まっていない 「容疑者は未成年の可能性」に翻弄された母親の願い

警察が公開した4人の似顔絵

 茨城県牛久市の藤井康子さん(65)は2000年、長男の大樹さんを亡くした。大樹さんは当時17歳。家からそれほど遠くないスーパーの駐車場付近で、男4人から暴行を受け、死亡した。警察は4人の似顔絵を作成して公開したが、いまだに犯人は特定されていない。ただ、この事件は広く知られていないかもしれない。4人の中に未成年者が含まれる可能性が指摘され、当時、似顔絵を報じなかった報道機関は多かった。

茨城県警が公式ユーチューブで公開した「重要参考人」の4人

 似顔絵公開後も、捜査は難航。一方で、少年事件に対する近年の厳罰化を背景に、捜査には変化もみられた。男4人の情報が積極的に公開されるようになったのだ。警察は7年前、4人の顔写真を公開。さらに動画をホームページに載せ「茨城県南部や千葉県に土地勘を有する人物か?」と付記した。
 康子さんによると、大樹さんは優しい性格だった。「冷凍庫を開けたら100円玉が置いてあったことがあって。きょうだいの分のアイスを食べちゃって、置いたみたい。心優しい子だった」。祖母が外出した際は追いかけて買い物に付き添い、荷物を持った。事件当時は17歳で、反抗期真っ盛り。減っていた会話は、もう少し大きくなればまた増えるだろうと思っていた矢先だった。大切な息子を失った悲しみと葛藤は、23年たった今も続く。加害者の4人にどうしても伝えたいことがある。「自首してください。捕まる前に自首すれば、情状酌量で刑が軽くなるかもしれないから」(共同通信=羽場育歩)

強盗致死事件で死亡した藤井大樹さん

 

 ▽「今からでも間に合うんだから戻ってこい!」火葬場で友人は叫んだ
 大樹さんとの最後の会話は、電話だった。2000年5月3日、外出中の康子さんは「もう少ししたら帰るからね。ご飯をちゃんと食べるんだよ」と何げなく話した。ところが日付が変わった4日、連絡を受けて駆け付けた病院で対面した息子は、頭がぱんぱんに腫れ上がり、管がたくさんつけられた変わり果てた姿になっていた。医師は言った。「コンクリートに打ちつけられたようだ。明日、明後日がヤマ場になるかもしれない」
 友人たちは連日集まり、大樹さんに声をかけ続けた。それでも意識は戻らないまま、13日に息を引き取った。
 葬儀には数百人が訪れた。康子さんは、顔の腫れが引いたことだけが唯一の救いだと思っていた。火葬場でひつぎを見送る瞬間、倒れそうになった康子さんの後ろで、大樹さんの友人が叫んだ。「藤井、今からでも間に合うんだから戻ってこい!」。その声を聞き、必死に足を踏ん張った。葬儀の後で、大樹さんが事件の被害に遭ったことを警察官から伝えられた。

藤井大樹さんの写真を手にする母康子さん

 ▽似顔絵公開、全国初の適用に
 その後は捜査の進展に一喜一憂する日々。茨城県警によると、大樹さんが亡くなった日に男4人のうち2人の似顔絵を報道機関に提供。8月には新たに4人の似顔絵を作成し、傷害致死事件として捜査した。大樹さんの財布から現金数千円がなくなっていることが判明し、容疑を強盗致死に切り替えて2004年には4人の似顔絵を公開した。背景には、警察庁が前年に出したこんな通達がある。「容疑者が未成年の可能性があっても、凶悪事件であれば例外的に公開捜査をする」。大樹さんの事件が全国初の適用例になった。
 康子さんは「一歩先に進んだ」と喜んだ。しかし、似顔絵を報じた報道機関は限られた。
 当時の新聞紙面では、少年の可能性がある容疑者の公開捜査について賛否両論が並んでいた。「しょうがないと思う一方で、ふざけるな、と心の中では思ったかもしれない」と思い返す。

強盗致死事件で死亡した藤井大樹さんの写真に手を合わせる母康子さん=3月、茨城県牛久市

 ▽顔写真、動画の公開にも踏み切ったが…
 画像公開後も、目立った進展は見られない。そのうち、康子さんは、犯人たちが大樹さんが亡くなったこと自体を知らないのではないかと考えるようになった。根拠は、大樹さんの職業の表記だ。
 警察の発表を受けた報道機関は、職業を「土木作業員」や「とび職」と掲載した。確かに大樹さんは事件前に高校を退学し、土木関係の仕事に就いていたが、事件当日は弟の学生服を着ていた。犯人たちは、制服姿だった大樹さんを高校生と勘違いし、報じられる「土木作業員の藤井大樹さん」と結びつけていないかもしれない。

重要参考人4人の加齢似顔絵

 茨城県警は2016年、4人の顔写真を初めて公開した。警察庁の新たな通達に伴い、やっと公開に踏み切った。翌年には付近のコンビニエンスストアの防犯カメラに残った動画を公開。ただ、男4人の呼称は顔写真を公開した時点で「容疑者」から「重要参考人」に変更されていた。警察によると、容疑者と断定できないための変更だが、康子さんは気持ちを整理できずにいる。「表現が変わった理由は説明されていない。画像の4人を犯人だと思っていたから、切り替えなくちゃと思うけど…」

友人らが開いた大樹さんの18歳の誕生日会の様子

 ▽生きる支え、息子の友人たち
 消えない苦しみの中で、生きる支えとなったのが、大樹さんの友人たちだ。月命日の前後に家を訪れ、仏壇の大樹さんに語りかけ、康子さんに近況を話した。2000年11月には、大樹さんが迎えるはずだった18歳の誕生日会に、康子さんを招いた。康子さんにとって彼らは今「子どもたち」。そう呼び、成人式に贈られた集合写真も大切に保管している。彼らは集まるたび、ノートに大樹さんへのメッセージを残した。そのノートは今、8冊になった。「決してしんみりとする訳でもなくて。ありがたかったし、救われた」
 解決を待ち続けた康子さんの母よし子さんは2018年、87歳で亡くなった。よし子さんは事件後、康子さんにこんな言葉をかけた。「たいちゃんにはかわいそうだけども、後を追っちゃいけないよ。他の子どもたちを考えて」。その言葉は支えになった。せめて自分が元気な間に解決したと、息子に報告したい。

大樹さんの友人らがメッセージを書いた「思い出ノート」

 ▽康子さんが願うこと
 「本当のことを言えば、彼らにも大樹と同じ目に遭わせてやりたい。どんなに痛かったか、苦しかったか…。彼らの親にも、子どもをこんな形で亡くす苦しみを味わってほしい。でも、そんなこと思っちゃいけないでしょう。だから、申し訳ないと思う気持ちがどこかにあれば、自首してもらいたい」
 容疑者から重要参考人になった4人。彼らはどんな年月を過ごし、今はどこで何をしているのか。23年前に自分たちが未来を奪った相手を、その家族を、どう思ってきたのか。康子さんは願っている。「今からでもどうか一刻も早く、罪に向き合って真実を話してほしい」

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