「洗いざらい、全て白状を」亡き娘の父親が願い ALS嘱託殺人、29日に初公判

20代ごろの林優里さん。仕事や趣味に打ち込む活発な女性だった(遺族提供)

 娘の最期に何があったのか知りたい。難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、医師に自らの殺害を依頼し亡くなった林優里(ゆり)さん=当時(51)=の父親(82)が、29日に京都地裁で行われる元医師山本直樹被告(45)の初公判を前に京都新聞社の取材に応じた。まな娘が初対面の医師らの手で死に至ったとされる事件の真実を知りたいと、被告らに「裁判で包み隠さず語ってほしい」と強く訴えている。

 まだ小さかった林優里さんを連れて、2月の寒い日に動物園に行った。銭湯で頭を洗ってあげたら大泣きされた。友達のけんかを仲裁して幼稚園の先生に褒められた―。泣いたり笑ったりした幼い頃の娘を思い返すと、父親(82)の口元はほころぶ。亡くなって以来、日に焼けた顔でほほ笑む遺影に毎朝「優里、おはよう」と話しかけ、会えなくなった娘への思いを募らせる。

 2019年11月30日夕、優里さんは京都市中京区のマンションを訪れた元医師山本直樹被告(45)と医師大久保愉一(よしかず)被告(45)によって体内に薬物を注入されて亡くなり、生前、2人に殺害を依頼していたとされる。

 優里さんは同志社大を卒業し、商業施設に就職した後、設計士を目指して米ニューヨークで暮らし、帰国後は東京都内の設計会社で働いた。英語が堪能で、旅行や趣味に飛び回る活発な女性だった。「自分の気持ちを押し通し、努力する性格だった」。2011年ごろから体に異変が表れ、ALSと告知された。

 京都に帰郷すると、高齢の父親への負担を気遣い、公的なヘルパーの介助を受ける1人暮らしを選んだ。進行性の病気のため徐々に体が動かなくなる中、新たな治療法を求め、東北地方など遠方の病院に自ら訪れた。声を出すことが困難になると、目の動きを使った文字盤やパソコンで意思疎通をした。

 生活全般で人の手を借りるもどかしさに、周囲とぶつかることもあった。ある日、上京区の京都御苑を一緒に散歩した。砂利道で車いすを押した父親が「へとへとになった」とこぼすと、優里さんから怒りに燃えた目で見つめられた。「病気になったことは、つらいのを通り越して悔しかったと思う。孤島にいるような気持ちだったんじゃないか」

 優里さんは、病状が進んだ時に人工呼吸器を着けない意思を周囲に伝え、交流サイト(SNS)では「安楽死」を望む思いを発信するようになった。父親が知らない心の叫びだった。優里さんと被告らがSNSで交わしたやりとりを事件発覚後に知った。

 被告らの文面から命を奪うことへのためらいは何一つ感じられなかった。「『楽にしてあげよう。任せなさい』というような言葉に腹が立つ。優里をもてあそび、まるでゲーム感覚。クモの巣に餌が飛び込んだようだった」と憤る。

 娘の51年間の生涯を「好きなことに一生懸命、努力した。自分のやりたいことをして、満足しているだろう」と思う。一方で、2人の被告に対し「思いやりの気持ちがあれば、優里を説得し、そういうことにならなかったはず」との思いが消えず、「洗いざらい、全て白状してほしい」と一心に願う。

© 株式会社京都新聞社