関東大震災の大火 避難行動や当時の習慣を分析 横浜でシンポジウム

関東大震災時の人々の行動などを報告したシンポジウム=27日、神奈川大学みなとみらいキャンパス

 「人々の関東大震災」をテーマとしたシンポジウムが27日、横浜市西区の神奈川大学みなとみらいキャンパスで開かれた。東京や横浜の市街地を焼き尽くした大火を巡り、当時の行動の習慣などを専門家が分析。災害の全体を見渡すだけでなく、個々の被災者の記録や回想も活用しながら、教訓を語り継いでいく必要性を共有した。

 東京大学の鈴木淳教授は基調講演で、大火の状況について「当時の東京市では人口の3分の2が家を失った。大都市がこれほどの被害を受けるのは類例がない」と強調。被災した人々がたんすなどの燃えやすい家財道具を荷車に満載して避難したため、延焼が拡大したとされてきたが、「江戸時代の消火活動は(家屋の屋根をはがすなどして延焼を食い止める)『破壊消防』だった。戸板や障子などが燃えないよう、火元から持ち出すことは習慣だった」などと背景を解説した。

 また、東京では津波が来襲するとの流言もあり、「船を使った避難をためらわせる要因になった」と指摘した。

 横浜都市発展記念館の吉田律人主任調査研究員は、横浜で被災した小学校教員が残した画集を紹介。「(大きな災害が起きると編さんされる)災害史は全体像をつかむのにはよいが、編集する人の意図も反映される。被災者の心情や暮らしの状況を理解するためには、個々の記録と照合することが必要だ」と訴えた。

 シンポは9月1日に迎える関東大震災100年の節目に向け、地域安全学会(会長・村尾修東北大教授)が主催した。

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