月3万円の年金が底をつき… パン1つ万引きし有罪の男性(62) 社会復帰の「最終手段」とは

フランスの作家、ビクトル・ユーゴーの作品「レ・ミゼラブル~ああ無情~」。

主人公のジャン・ヴァルジャンは、貧しい男だ。ある日、空腹にあえぐ子どもたちのために、1片のパンを盗もうと店に侵入し逮捕され、裁判の末、実に19年間、監獄に収容されてしまう。

この物語の舞台は、18世紀後半から19世紀初頭のフランス。

ヴァルジャンは、長い投獄の中で、自身の犯した罪について自問する。正当にパンを得るためには、人の情けにすがるか、働くほかには無く、例え、飢えたとしても「耐え忍ぶ」ことが必要だったと回想。反省を深める。

一方で、自らが勤勉な労働者だったにも関わらず、貧しく、パンひとつも手に入れられなかったことに理不尽さも覚えた。

■盗んだのは140円のパン

時は21世紀。空腹に耐えかね盗みを働いた男性が、司法の裁きを受けていた。

「パンを盗もうとしてコンビニに入店したのか?」

2023年4月26日、松山地裁。窃盗の罪に問われ、被告として証言台に立ったのは62歳の男性だ。起訴状などによると、男性は住所不定の無職。上下は薄い灰色のスウェット姿。頭髪には白いものが目立つ。

2か月に一度受給する6万円の年金が唯一の収入源で、これまでにも数回、万引きに手を染めた過去がある。

「当時、所持金は数十円しかなかったが、なぜ入店したのか?」

少し猫背気味で正面を見据えながら、男性は検察官からの質問に答えた。

「お腹が空いていて、パンの陳列棚を通り掛かったとき、手に取ってしまった」

裁判で認定された事実などを踏まえ、事件を振り返る。

2023年3月7日の午前9時ごろ、愛媛県松山市内のコンビニエンスストア。パンの陳列棚の周辺を歩き回る男性を不審に思った店員が声を掛け、手さげ袋の中を確認したことで、窃盗が発覚した。盗んだのは販売価格140円のカレーパン1個だった。

冒頭陳述などによると、男性は2022年末まで、香川の実家で義母とふたりで暮らしていたが、嫌気がさして家出したという。そして、2023年2月、年金が底を尽く。翌3月、空腹を満たす目的でコンビニに侵入、パン1個を盗み、現行犯逮捕された。

■年金は1か月に3万円

続いて、弁護士からの質問が行われる。

「仕事が無く、カネも無くなり、万引きに及んだ。窃盗を繰り返しているようだが、万引きを軽く見ていないか?」
「いいえ、ついやってしまったが、軽くは見ていない」

「年金は2か月に1度、6万円程度だが、暮らしていけるのか?」
「苦しいが、今後は頑張る」

「判決に執行猶予が付いた場合、社会に戻ることになるが、今後どのようにして万引きしないように努めるのか」
「仕事を探すこと、それも無理ならば生活保護も検討したい」

更生緊急保護を受けることは考えているか」
「…お金が掛からないのであれば」

弁護士の触れた更生緊急保護とは、事件により身柄を拘束され、その後、釈放されたものの、住む場所や所持金が無く、さらに親族の援助受けられず生活保護も難しい人のために設けられた制度だ。再犯防止や更生を目的に、6か月を上限として、住居や食事が与えられる。もちろん無償だ。

■うまくいかなかった仕事、生活

質問に、はっきりとした声で回答していた男性だったが、自身の生活態度に踏み込まれると、言葉に詰まり始める。

「仕事に就いても、飽きて辞めちゃうよね、どうして?」
「待遇面や人間関係で…」

男性はこれまで、清掃業をはじめ様々な仕事に就くなど、自立に向け努力を重ねてきたものの、いずれも長く続けることが難しかったという。

「香川の実家には帰らないのか?」
「帰らない、愛媛にいる」

これまで義母とふたりで暮らしてきたという男性の家庭環境や、家出して愛媛に流れ着いた理由など、詳しい経緯が裁判で明かされることはなかった。

「被害者に対してはどう思う?」
「誠に申し訳ない」

裁判は即日結審し、検察側は罰金30万円を求刑。

一方の弁護側は、店にパンの代金140円を支払った上、これとは別に1万円の弁償金も支払い示談が成立しているとして、執行猶予付きの判決を求めた。

■「今日からあなたは社会に復帰します」

5月11日。男性には求刑通り、罰金30万円の判決が言い渡された。

「あなたは現時点で、既に罰金30万円を支払ったこととします」

渡邉一昭裁判官は、判決理由について、被害店舗への弁償が済んでいて示談も成立していること、また犯行当時、男性の所持金が数十円しかなかった事情を挙げた上で「空腹ゆえの犯行で酌量の余地がある」と述べた。

また、身柄が拘留されていた期間を、1日当たり5000円に換算し、罰金に充当したことを説明した。

「新たに罰金を払う必要はありません。今日からあなたは社会に復帰することになります」

裁判官を見つめたまま、身じろぎせず、判決に聞き入る男性。

十分に理解できない様子を、見て取ったのだろうか、裁判官が再度、繰り返す。

「いいですか?新たに罰金を払う必要はありませんよ。あなたはもう払ったことになります」
「社会に戻ったら更生緊急保護の手続きを、しっかりと行ってくださいね」

裁判官からの“説諭”に、男性はしっかりうなずいた。

■「最終手段」その先に待つ壁

住居や食事が与えられる、更生緊急保護の活用というのは、いわば最終手段。あまり無いケースだ。

事件を担当した仲宗根南子弁護士に話を聞いた。

今回の裁判のように、社会復帰を前提とした判決が予想される場合、弁護側は再犯防止を見据えた主張が重要となる。

ただ“一般論”との前置きをした上で、仲宗根弁護士は続ける。

「身寄りのない人の場合、特に住所確保のハードルが高い。例えば、ホームレスのような人物に部屋を貸してくれる人は少ない」

身寄りのない人が逮捕・起訴されても、住居があったり、また、確保の見通しがあったりすれば、社会復帰後に生活保護などで暮らしを立て直していくことを法廷で主張できる。

だが、男性は実家を離れ「住所不定」の身。

生活保護を申請するにしても、住所は必要になる。この壁は、かなり大きい」

生活保護の先にある“最終手段”。それが、住居などが与えられる更生緊急保護なのだ。

男性は今後、更生緊急保護を申請し、暮らしが約束された環境で職を探すことになるとみられるが、制度を利用できるのは原則6か月。それまでに、新たな住居を見つけた上で、職に就くか、生活保護の活用を迫られる。

■固定化される再犯者

更生緊急保護を利用して施設に入ることは、本人の申し出があれば可能。重要なのは、施設を出たあとだ」

こう指摘するのは、制度を所管する法務省の担当者だ。

「近年は、施設を出た人を訪ねるフォローアップを行っている。話し相手になったり、生活の相談に乗ったりする。地域の繋がりが希薄になって久しいが、『孤独』と『孤立』が再犯を招く。『居場所』と『出番』を作り出すことを意識している」

法務省の「犯罪白書」によると、刑法犯の認知件数は、2002年の285万件をピークに減少を続けていて、2019年には74万件で戦後最少となった。一方で、更生緊急保護の利用者数は、2019年時点で、全国で約2,100人。ここ20年、ほぼ横ばいで推移している。考えられる背景のひとつに、「再犯者の固定化」が挙げられるという。

「薬物や酒などに起因する犯罪に手を染めた後、施設に入所した人には、専門的なカウンセリングや教育プログラムを実施している。しかし、生活に困り盗みを働いた人に対しては、治療という考え方が取れないので…法務省としてできることは、就労支援ということになる」

仲宗根弁護士も、万引きなど「小さな犯罪」を繰り返してしまう人には、ある傾向が見られると話す。

「話し方や受け答えに違和感を覚えて、医師の診断を仰いだところ、発達障がいだと判明するケースはとても多い。他人とのコミュニケーションがうまく取れずに仕事を続けられず、困窮して犯罪に走ってしまう理由は障がいの影響だったのだと、逮捕されて初めて明らかになる」

ただ、それが裁判で考慮されることは無いという。

「発達障がいは、心神耗弱や心身喪失のように明文化されたものではないので、減刑の理由には一切ならない。むしろ、社会復帰後の支援などを主張する必要がある」

■実情を鑑みた判決

仲宗根弁護士によると、男性は社会復帰に向けて、前向きな態度を示しているという。求刑通りだった、罰金30万円の判決についての受け止めを聞いてみた。

「今回の判決は、いわゆる『満(みつ)るまで算入』と呼ばれるもので、身柄の拘束日数と引き換えに罰金の支払いを終えたとするもの。つまり判決の時点で刑を終えたことになる。実情を鑑みた判決だったのではないか」

男性の置かれた状況などを考慮した上で、社会復帰を見据えた場合に、今回の判決は、最適な着地点を探った結果であるといえるのかもしれない。

■最高の法とは

――「レ・ミゼラブル」の主人公、ジャン・ヴァルジャンは、監獄を出たあと、ひとりの司教と出会う。そこで、忘れていた人の慈愛に触れ、改心する。その中で、ヴァルジャンは、次のような言葉を残している。

「最高の法は良心です」

◇ ◇

過ちを繰り返してしまう人が後を絶たない現実。
負の連鎖を断ち切る上で「法の良心」には限界があるのだろうか。

■「たね」は誰もが持っている

パンを万引きした男性は、他人とのコミュニケーションが苦手な“特性”が災いし、仕事を続けられず困窮に陥った末、犯罪に手を染めてしまった。「負の連鎖」から抜け出すことが難しい実情と、我々はどのように向き合っていけば良いのだろうか。

事件を通じ、多くの被告人と向き合ってきた仲宗根弁護士は…

「例えば他人とのコミュニケーションなど、程度の差はあれ、誰にでも苦手なことはあるだろう。見方を変えれば、それは、我々全員が犯罪の『たね』を持っているともいえる。ふとした拍子で『当事者』になってしまう可能性がある。とても大変なことだが…」

少し思案し、こう締めくくった。

「お互いの特性を受け止め合う。優しさを持つ。それが、お互いの成長に繋がり、社会の成熟に繋がる」

※本文中引用はいずれも「レ・ミゼラブル」ユーゴー作/豊島与志雄訳(岩波文庫)より

【続けて読んで欲しい…!! 特選記事】 〇 〇 〇

© 株式会社あいテレビ