相当ダム建設従事 米捕虜らを慰霊 佐世保・上柚木 地元の中学生「歴史伝えたい」

米海軍佐世保基地の関係者ら約50人が参列した慰霊祭=佐世保市

 第2次世界大戦中、長崎県佐世保市上柚木町の相当ダム建設で亡くなった米国人捕虜と日本人計67人の慰霊祭が25日、ダム近くの慰霊塔前であった。米海軍佐世保基地や市関係者ら約50人が参列。地元の歴史を学ぼうと、近くの中学生も見学し、死没者に花を手向けた。
 ダムは旧日本軍が建設し、1944年に完成した。過酷な作業を強いられ、米国人53人と日本人従業員14人が亡くなった。市によると、現在は相浦地区から佐世保駅付近まで水を供給しているという。慰霊塔は市が56年にダムのそばに建立。慰霊祭は佐世保基地が主催した。
 市立柚木中の2年生18人は、初めて式を見学。同基地司令官のデイビット・アダムス大佐は「若い世代が過去の紛争や歴史を学んでいることを知ると、私たちは過ちを繰り返さず、明るい未来に向かって進んでいけると希望を感じる」と話した。
 同校2年の小川玲桜(れお)さん(14)は「当時は十分な食糧もなく、今では考えられない苦労があった。身近な人に歴史を伝え、水の使い方にも生かしたい」と語った。

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