拝啓 吉村秀樹 様

5月28日まで北海道留萌市で行なわれていた『bloodthirsty butchers展』に「交友関係者からのメッセージ」の一部としてコメントを依頼され、拙文を寄稿しました。 記録として、以下、残しておきます。

拝啓 吉村秀樹 様

ごぶさたしています。お元気ですか。そっちはどうですか。 去年はZEROさんまで急にいなくなってしまって、近年はばたばたと旅立つ方が増えるばかりで、そちらはさぞ賑やかなことと存じます。 晩年は公私ともに本当によく一緒に過ごさせてもらったし、あれだけ濃い人だったから記憶が薄れようがないでしょうとたまに言われたりしますが、さすがに10年も経つとあなたと過ごした日々ややり取りはだいぶ薄れてきてしまいました。 巨人の星のスタンプを多用したあなたとのLINEもiPhoneの機種変更をしたときにうっかり消滅してしまったし、Facebookで不意に流れてくる過去の思い出投稿を見ても「そんなこともあったかなあ」とまるで他人事のように感じたりします。 それでも、いま付き合いのある知人の大多数はあなたの友達なので、彼らと会うたびにあなたの濃厚エピソードがもれなくついてまわります。 その意味でもあなたはまだ二度目の死を迎えてはいませんね。 人は二度死ぬって言うじゃないですか。 人は肉体が滅んだあとも影響を与えられるという。 10年経ってもなお、皆あなたの豪放磊落エピソードを嬉々として話し、あなたの生み出した素晴らしい音楽はいまだ聴き継がれて新たなファンが生まれ続けています。 (あなたが亡くなってから、マネージャーの渡邊さんがあなたを忘れないように尽力してさまざまなアクションを起こしていますし。ぼくも時折、微力ながら協力させてもらっています) でも、あなたが眠る留萌で掲示されるというこんな拙い文章を読んでくださる人たちの前なので本音を隠さず言わせてもらえば、もっともっと一緒にいたかった。 飲みながらたわいのないバカ話をもっともっとしたかった。最近あれがいいよとおすすめの音楽をもっともっと教えてほしかった。 あなたは生前、あまり故郷の話をしたくなさそうだったし、あなたが亡くならなければ決して出会わなかっただろう人たちが数名います。 妹さんやお母さん、『kocorono』をつくるきっかけを与えたMさん、ZEROさんもそうですよね。そうした出会いにはもちろん感謝していますが、本当のことを言うならば、あなたが亡くなるくらいなら出会わないほうがよかったと思うことも正直たまにあります。 やっぱり、生きていてほしかった。 石井岳龍監督とタッグを組む映画のことで、着地点についてずっと悩んでましたよね。マイブラを新木場で観る前の新橋の飲み屋でそんな話になりましたね。あの話の続きをしたかったのに、それも叶わぬまま、吉野さんの歌の通り、あなたはあっさりと去ってしまった。 リベンジはこれからだとか伝説になんかなっちゃいけねえんだとか威勢のよいことを言っておきながら、この体たらく。 自分だけ一生歳をとらないズルいヤツになっちゃって、この先、さらに時が経てば真っ先に伝説になってしまいそうです。 確かな批評や評価もくださず、伝説と謳えばとりあえずそれで商売にしやすい日本ではきっとそうなるのでしょう。 2013年5月28日の夕刻に射守矢さんからいただいた電話で、ぼくの人生は一変してしまいました。これは決して大袈裟な話ではなく。 いっとき、これからの人生は余生に過ぎないとすら本気で考えていました。当時まだ、40代にもなっていなかったのに。 あの日、訃報を聞いた直後から、あなたはもう二度とあれだけ愛飲していた「いいちこ」を飲めないんだなと思い、ぼくはそれまで毎日飲んでいたサントリーの角瓶を飲むのはやめて「いいちこ」を飲むようになりました。 最初はなんて味がないんだろうと思ったけど、でもそれが薄味好きなあなたらしいなとも思いました。 いまやその薄味にも味がしっかりあると感じられるようになったし、気がつけばあなたの享年を3つも過ぎて、来年は50歳になります。 あなたが永遠のツアーに出て、今年で10年。 弔いとして「いいちこ」を飲むのは、もうそろそろやめるつもりです。 増子さんが怒髪天の一番新しいアルバムの中の曲で「ヒトの分まで生きるだなんて思い上がんなよ」と唄っているのを聴いて、自分も思い上がっていたんだろうなと思ったのもあるし、何より単純に飽きたので(笑)。 増子さんの歌詞のように、あなたが「友達」として認めてくれたことに胸を張って生きていければいいのかもしれませんが、あなたの広い背中をずっと追いかけていた自分にはどうしても友達とは思えません。でもそれでいいのだと思います。あなたの享年をいくら越えようが、あなたとぼくの距離はずっと変わらぬままで、縮まることは決してないのですし。 実のところ友達かどうかなど関係なく、ぼくはずっとあなたの生み出す新しい音楽を聴いていたかったのです。 新作を発表するたびに、その作品を広めるためにインタビューをする。その関係をずっと続けていたかった。 ぼくは裏方の人間として、板の上に立つ人とは一線を引くことを自分に課しています。 なぜならその表現者が仮につまらない作品を発表したとして、ぼくらが友達だとしたら気まずいから。 メディアの人間として線引きしていれば、つまらない作品なら取材をしなければいいだけなので。 だけど何事も例外はあるもので、あなただけはぼくがきっちり分けていた公私の線引きを簡単に飛び越えてきました。 しかも発表される作品はどれも、個人的な嗜好はあるにせよ、前作を超えるクオリティを必ず保っていました。 あなたが亡くなったあとに発表された『youth(青春)』も、『NO ALBUM 無題』よりいいなと素直に思えた。でもだからこそ悲しいのです。『youth(青春)』以上の作品が世に放たれることは今後も絶対にないのですから。 2023年春。相も変わらず、ぼくはあなたの不在をあらためて痛感し、それに気づき呆然としています。 「今も過去も君は俺を悩ます」という歌詞みたいに、あなたは今も過去もつくづく厄介な存在のままです。 ──椎名宗之(Rooftop編集長)

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