米国で対日政策に関与する知日派をジャパンハンドと呼ぶ。政府や議会、財界、学界に広く散らばる。太平洋戦争で勝者と敗者の立場に分かれ、その後一貫して日本の政策は米国の強い影響下に置かれてきた。戦後78年の今、専門家は自らの現在地をどう見るのか。日米関係が成熟し、一部の知日派だけで対日政策を切り回す時代は終わったとの声もあった。地球規模の課題が増え、2国間だけでは解決できない問題も多い。日米関係の将来のありようは長期的に中国が変数になる。(共同通信ワシントン支局長 堀越豊裕)
▽代表格
「エドウィン・ライシャワーのような存在は今日必要ではない」。首都ワシントン中心部の有力シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)。3月末、ガラス張りの建物の一室で日本部長のクリストファー・ジョンストン氏は言い切った。
ライシャワーは1961~66年に駐日大使を務めた。日本生まれで、妻は日本人。東アジア研究のハーバード大教授から転身した。1990年に亡くなるまで日米に広く深い人脈を持ち、ジャパンハンドの代表格と言える。
なぜ不要なのか。国家安全保障会議(NSC)などで対日政策を担ったジョンストン氏は「日米が成熟し、健全で幅広い関係になったからだ」と説明する。
そこには安全保障条約改定や沖縄返還、貿易摩擦など、ライシャワーのような大きな存在が役割を果たした両国間の懸案に一定の整理が付き、日米協力が今や民主主義陣営の強化や温暖化対策など地球規模の取り組みに広がっているとの認識がある。
▽脈々と生きる
ジョンズ・ホプキンズ大高等国際問題研究大学院ライシャワー東アジア研究所長のケント・カルダー氏は認識が異なる。
「異文化をつないだライシャワーの役割は現代的な意味を持つ」。時代が変わっても異文化への深い理解は今も求められ、日米はもとより地球規模でその成果は脈々と生きているとの考えだ。ライシャワーから直接教えを受けた。「日米関係が2国間の関係を超えて地球規模の領域に踏み込んだからといって、ライシャワーの考えが重要でなくなったわけではない」と言葉を強めた。
ライシャワーは安保改定に揺れる日本を分析した論文がケネディ大統領の目にとまり、大使に指名された。安保反対の裏側にある反戦意識や声なき国民の保守性を説いた内容は今読んでも古くない。
その論文は国会周辺で続いた全学連の大規模なデモを冒頭で取り上げ「米国人の目からは日本が共産陣営か自由陣営かで揺れているように見えているだろうが、日本人はそう考えていない。平和と戦争、あるいは民主主義とファシズムといったもっと曖昧な目標の歴史的岐路にあると感じている」と書いた。単純なイデオロギー論ではなく、太平洋戦争が日本人に残した傷痕に目を向けた。
▽「操られているようで嫌」
ジャパンハンドという言葉に日本の外交官は「操られているようで嫌ですね」と顔をしかめる。シンクタンクでいえば数十人規模だろうか。「こぢんまりしたクラブのよう」(米国笹川平和財団のジェームズ・ショフ氏)という。
最近の日本専門家で目につくのは、JETプログラムと呼ばれる日本に英語教員らを派遣する事業を経験した人たちだ。ジョンストン氏もショフ氏もその例に漏れない。ジョンストン氏はNSCで働いていたとき、アジア関係の部署にいた6人の半数がJETの経験者だったと笑顔で振り返った。
シンクタンクでは最近、日本の専門家が中国や朝鮮半島もカバーする傾向がみられる。日本だけでは視野が狭い。中国の存在が大きい。
トランプ前政権の米中貿易戦争は日米貿易摩擦を思い出させるが、シンクタンクのハドソン研究所の上級研究員で、レーガン政権で日米関係に関与したジェームズ・プリスタップ氏は「解決の意思があった日米と、そうではない米中とは全く違う」と首を振った。民主主義など価値観の共有も強調した。
米中が日本の頭越しに手を結ぶことは将来ないのか。カルダー氏は「中国は米国の競争国であり続ける。手を結ぶことはありそうもない」と語った。