神戸のブランド「須磨のり」託されたのは元証券マン 創業50年超「河昌」、2代目夫婦に後継者

看板ブランドとして育ててきた「須磨のり」を手にする藤井昌治さん・潤子さん夫妻=神戸市須磨区松風町5

 町のすし店に多くの得意先を持ち、自社ブランド「須磨のり」を展開するノリ専門店、河昌(かわしょう)(神戸市須磨区)が、創業家の2代目店主夫妻から同業を営む証券会社出身者に受け継がれた。創業して50年超。卸から小売りへと事業の幅を広げ、ノリ産地・須磨を発信してきたが、後継者不在が懸案だった。経営を託した藤井昌治さん(67)潤子さん(60)夫妻は「須磨に店の看板を残してもらえたら」と話している。(段 貴則)

 河昌は1971年創業。すし店向け卸として、昌治さんの父昭さんが須磨で店を開いた。近隣住民への「お裾分け」をきっかけに、直売所を設けて小売りも始めた。後に法人化し、現社名にした。

 昌治さんは「学生の頃、実家の商売は長男が継ぐという雰囲気だった。私は長男だが、祖母から『無口で商売に向いていない』と言われていた」。大手電機メーカーに入り、営業部門で働いた。30歳のとき、店を切り盛りする父を見て、潤子さんに脱サラを相談。二人三脚で昭さんと店をもり立てることにした。

 昌治さんは入社後、新たな取引先を求めて、市内のすし店を営業で回った。「どの店もこだわりが強く、上物しか取引してもらえない」。当時、主に愛知県や九州産の高品質な商品を仕入れていた昌治さん。「いつかは地元産も扱いたい」と思うようになった。

 昭和中期に始まった須磨沖でのノリ養殖が定着し、全国の高級品に負けない品質となると、産地名を掲げて特色を出すため「須磨海苔(のり)」の名で焼きのりを売り出した。「須磨産は焼きのりでも味がする、とお客さんに言われた」と潤子さん。味付けのりや進物用など品ぞろえを増やした。誰にでも読んでもらえるように「海苔」をひらがなにし、潤子さんは「2代目女将(おかみ)」として須磨のりを使ったレシピを料理サイトに投稿するなど、アピールに力を注いできた。

 町の寿司店など得意先は今も約200軒あり、創業時からの取引が続く店も多いという。須磨のりの小売りも全売上高の4割を占めるようになった。

 昌治さんは60歳になり、後継者探しを始めた。河昌は夫妻に加え、社員、パートを合わせても10人未満。社外の第三者に経営を託す道を探った。

 銀行などを通じ、味付けのり製造業、光海(こうみ)(兵庫県佐用町)の岡田正春さん(51)と出会った。野村証券出身で、光海を事業承継した実績もあった。話がまとまり、4月末、社長を交代した。

 昌治さんは「社員とお客さんを大事にし『笑顔あふれる食卓づくり』という理念も受け継いでもらうことが、こちらの希望だった。うまくバトンを渡せた」と話している。

 【須磨地区の海苔】神戸市ではノリ養殖が須磨区から垂水区にかけて行われ、2007年に市漁業協同組合が地域ブランド「須磨海苔」として商標登録した。特に風味豊かな一番摘みノリを使って神戸で生産された商品を指す。栄養素が豊富で、色が黒く、肉厚であるのが特長。同組合所属の「すまうら水産有限責任事業組合」がノリを養殖し「須磨海苔」を生産販売するなど、ノリ産地・須磨を発信している。

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