福井城址に崩れた石垣現存、1948年6月28日の激震伝える 福井地震から75年…爪痕を訪ねて

福井県庁舎の北西側に保存されている崩れた石垣=福井県福井市大手3丁目の福井城址
福井地震翌日の福井城址。お堀の西側、北側、南東側の石垣が大きく崩れている。下(南側)の御本城橋付近ではお堀外側の護岸が崩れている=1948年6月29日、米軍撮影(国土地理院提供)

 福井県福井市中心部に位置する福井城址の一角に、斜めに崩れ、波打つように起伏した石垣がある。県庁舎の北西側にある天守台跡付近。75年前の福井地震で損壊したまま残された石垣は、当時の激震を今に伝える。

 1948年6月28日、福井平野を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生、現在の福井市と坂井市を中心に甚大な被害をもたらした。

 福井城址のお堀では西側、北側、南東側の石垣が大きく崩れた。お堀外側の護岸も崩壊し、道路の亀裂は深さ1メートル以上に達したという。現在の県庁舎は1979~81年に建設され、82~83年には石垣の修復工事が行われた。

 天守台跡横の崩れた石垣は保存され、脇に立つ看板にはこう記されている。「厳しい自然の力が感じられるとともに築城以来の悠遠なる時の流れに思いを馳せることができます」

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 3769人が死亡したとされ、最大値の震度7が創設されるきっかけになった福井地震。その痕跡は、わずかだが今も身近に残されている。揺れの強烈さを確かめるべく、75年前の“爪痕”を探し歩いた。

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