「自分は大丈夫」に警鐘 島原・千本木火砕流から30年 自ら考え命を守る行動を

大火砕流の熱風に巻き込まれた島原市上折橋町付近。倒れた電柱が熱風の強さを物語る。道路は県道愛野島原線で、写真奥が中尾川上流方向=1993年6月23日(同市提供)

 1993年6月23日、長崎県島原市千本木地区への大火砕流で住民1人が亡くなった。火砕流の猛威はすでに知れ渡っていたはずなのに、なぜ再び犠牲者が出たのか。43人もの犠牲者が出た91年の安中地区の大火砕流当時、同地区の公民館で災害対応に当たった元市職員、雲仙岳災害記念館の杉本伸一館長(73)は異常事態にあっても「自分は大丈夫」と考えてしまう思考「正常性バイアス」を指摘し、警鐘を鳴らす。
 千本木地区での火砕流で自宅を全焼する被害に遭った石本靖さん(89)は、安中地区出身の妻と1958年に結婚した。自宅から妻の古里、同市南上木場町付近までは直線距離で約5キロ。妻の実家は91年6月3日の大火砕流で全焼した。家族は市中心部に避難し無事だった。
 石本さんは、普賢岳(標高1359メートル)と千本木地区との間には垂木台地(同約600メートル)が盾のようにそびえていたため、自宅に火砕流が押し寄せてくるとは「まさか夢にも思わなかった」という。
 石本さん宅のあった北千本木町は、93年6月23日の大火砕流を受け、同日から災害対策基本法により立ち入りが制限される警戒区域に入った。しかし、同じ仮設住宅に暮らす地域住民と話し合い、翌24日にそれぞれ荷物を運び出す計画を立てていたと振り返る。
 杉本館長は安中地区でも、大火砕流からしばらくすると多くの住民が警戒区域に入っていたとの調査結果があると明かす。防災について「法で縛るだけでは無理。知識を使ってどう対処するかという意識を持たないと駄目」と提言する。
 災害心理学が専門の関西大社会安全学部の元吉忠寛教授(50)は「自然災害の発生サイクルは数百年から数万年あるにもかかわらず、私たちは災害を自分の人生経験で判断してしまいがち。平常時は心を平静に保つ働きとなりうるが、災害時は逃げ遅れなどの原因となってしまう」と話す。
 防災を核としたまちづくりを所管する吉田信人・同市市民部長(59)は「つらいことを忘れることも人の心を守る仕組みだが、災害を風化させてはまた犠牲者を出すことにつながる。市民が災害時にはどのようにしたら自分の命と地域を守れるのかを、平時から住民自ら考える自主防災組織の輪を広げ、風化にあらがいたい」と強調した。

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