「あのねのね」デビュー50周年 原田伸郎さんがファンの熱さに感動した訳

「ファンの熱さに感動を覚えました」と笑顔でリハビリライブの手応えを語る原田伸郎さん(京都市中京区・京都新聞社)

 京都で生まれたフォークデュオ「あのねのね」が、デビュー50周年を迎えた。ソロのタレントとして互いに年月を重ね、10年ぶりに開く記念コンサート(6月24日、京都市中京区・先斗町歌舞練場)のチケットは発売3日で完売。関西を拠点に活動する京都市出身の原田伸郎さん(71)は「ファンの熱い思いは、われわれの想像をはるかに超えていた。多くの方に感謝を伝えたい」と語る。

 きっかけは今年1月、相方の清水国明さん(72)と同じ母校である京都産業大(北区)で開いたライブ。半年後の記念公演に向けて、長らく共演していなかったブランクを埋めるための「リハビリ」と銘打った関係者向けの催しだった。

 「お客さんの前で、『ここは、どうやってたかなー』と二人で(往時を)思い出しながら弾き語り。ステージ後半になってようやく調子が出てきたが、舞台裏の部分も含めて楽しんでもらえた」

 さらに二人を喜ばせたのが、開演前の入場者に書いてもらったアンケートだった。コンビの活動が主流だった「あのねのね」を知る卒業生たちが、デビュー曲「赤とんぼの唄」などのレコードを手に入れ、深夜ラジオに耳を傾けていた中高生時代の思い出を克明につづっていたからだ。

 「清水さんとぼくが好きなようにやらせてもらった『あのねのね』が、彼らにとっては青春期を象徴する存在であることに気づかされた。互いに年を取ったからなのか、40周年時には感じなかった驚き」という。

 「リハビリライブ」はその後、一般のファンに向けて名古屋や金沢、横浜でも行った。

 二人は学生時代、バイト先だった中京区の旅館で知り合った。「ぼくは実家(右京区)から通学するのが面倒なので旅館に住み込み。休み時間に一緒にギターを弾いたりして意気投合した」(原田さん)という。

 デビューの契機は、清水さんが新たなバイト先として探してきたビアガーデンでのデュオのライブ。持ち前のコミックソングが酔客に受けて評判になり、在阪のラジオに出演して人気に火が付いた。

 当時から1歳上の清水さんが主導権を握る先輩後輩の関係は、今も変わらない。

 「ビアガーデンでは、30分のライブを一日2回して2千円もらえた。旅館は1500円だったから、こんな割のいいバイトはないと喜んでいたら、2人分のギャラは5千円だと後で知った」

 何食わぬ顔で3千円を取っていた清水さんは、好きなことにまい進するタイプ。長らく東京を拠点に芸能活動し、アウトドアの自然も楽しむ自適の生活だという。

 「けんかしたら3秒後に解散しようと、二人で決めて、今もそのまま。ファンの前で将来にわたって歌うか否かは、清水さん次第でしょう」。やんちゃな兄貴分を慕う原田さんの笑顔はいつも通り柔和だった。

■最近和紙にしたためたのが「安穏念音寧」

 原田さんの趣味は、52歳から独学で始めた書道。丸みを帯びた味わいのある筆致で、個展にも出品している。

 最近和紙にしたためたのが「安穏念音寧」。仏教用語のようなありがたみを感じる漢字の並びで、実際に僧侶が個展で買い求めたほどだったが、これは原田さんが創作した「あのねのね」の当て字。

 「『音』も入っているし、個々の漢字も気に入っていた」と、デビュー50周年記念に売り出す手ぬぐいのデザインにも採用した。

 過労と睡眠不足で顔面がまひし、1カ月仕事をキャンセルして治療していた時期に暇を持てあまし、書の魅力にどっぷりはまった。

 左上から時計回りに「大」「丈」「夫」と書いて、「笑」のイラストに見立てたり、関西弁のノリで「動静中年(どうせいっちゅうねん)」とツッコミを入れるなど作品に遊び心も込めている。

「あのねのね」と読ませる原田さん創作の当て字をデザインした手ぬぐい

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