国内唯一のボウリングボールメーカー 何故栃木県に?勘違い?“戦争”もキーに  【実はとちぎで作っています】⑦日本エボナイト佐野工場

日本エボナイトで製造しているボウリングボール

 佐野市内に国内唯一のボウリングボールメーカーがあるらしい-。なぜ栃木県でボウリングボール?疑問を解決するために早速取材を申し込んだ。

 日本エボナイト(東京都大田区)は1919年、戦前、日本にあったゴムの一種である「エボナイト」などの製造販売を行う会社として創業。昭和10年代に、自動車バッテリー内の硫酸に耐えうる素材としてエボナイトの需要が高まったことを契機に、軍用車や軍艦のバッテリーを作る会社として大きく成長した。43年に、疎開工場として佐野市天神町に佐野工場を新設した。

 ボウリングボールを作り始めたのは戦後の52年。進駐軍兵士が「ボウリングボールの指穴を直してほしい」と東京の本社に来訪したことがきっかけだ。兵士は同社をアメリカにある「エボナイト」というボウリングボールメーカーの日本工場だと勘違いしていたのだという。

 加藤章(かとうあきら)社長(66)は「偶然、会社名にエボナイトが入っていたから、本社に話が来て、佐野工場で作るようになった。初めは見よう見まねで大変だったと聞いている」と先人の苦労に思いをはせた。

 会社の歴史について聞いた後は、ボウリングの製造過程を見せてもらうために工場へ向かった。現在のボウリングボールは、ポリエステル樹脂やウレタン樹脂などを材料に製造している。手作業が必要な工程も多く、古くから使う専用の機械が多いという。

 工場では、最短で3日かけてボールを製造する。ボールは3層構造になっており、最初に作るのは「コア」と呼ばれる中心部分。不思議な形状で、実物を目の当たりにするまで、これがボールの中に入っているとは想像もできなかった。

 コアは、ボールの曲がり具合などを左右する重要なパーツ。同社には100種類以上の選択肢があるという。100度に温めた鉄板の上に置いた専用の型に、手作業で原料を流し込んで約15分かけて固めていく。

 次に、完成したコアを型の中に設置する。コアを包み込むように着色料が入った原料を流し込み、2層目を作る。型から外した後は表面にできた気泡を削り、表面全体に粗く傷を付ける。この作業が3層目とうまく接着させるためのこつ。取材時は緑の着色料が使われていたせいか、できあがったボールはまるでメロンのようで、少しおいしそうに見えた。

 3層目の成型は、ボールを型にはめ、着色料を入れたウレタン樹脂で覆う作業。20~30秒かけ、機械を使って樹脂を流し込む。3分ほどたつと、手で触れる固さになり、5分もすれば完全に固まる。

 固まった表面を見ると、葉っぱのような「ヒケ」と呼ばれるものがいくつか見られる。ヒケは樹脂が固まるときにできるもので、これが優良なボールの証にもなっているのだという。

 できあがったボールは機械で丸く削り、重さや重心などを計測した後に刻印する。さらに、あめ玉のようなツヤツヤのボールになるまで3段階に分けて磨いていく。刻印の文字は手作業で色を付けていく。

 現在、同社で作ったボールはボウリングボール販売会社「アメリカン・ボウリング・サービス(ABS)」を通して、プロボウラーなどのマイボールとして使われている。ボウリング場で飾られているボールで「MADE IN JAPAN(メイドインジャパン)」と刻印されているものは、同社製だという。

 ボウリングの構造デザインなどを一手に担っている佐野工場開発室の斉木昌和(さいきまさかず)室長代理(46)は「現在は海外のボールが主流だが、私たちは日本人のスタイルに合わせたボールを日々研究し、製造している。プロの大会で優勝ボールになるとうれしいですね」と笑顔を見せた。

 県内の工場で培われてきたボール作りの技術は、今も「メイドインジャパン」のプライドを背負って成長を重ねていく。少し県民として誇らしい気持ちを覚えながら、工場を後にした。

日本エボナイト佐野工場
佐野工場内
ボウリングボールの断面図の見本
コアの一部
気泡などを削り、表面に粗く傷をつけたボール
ボールの表面に見られる「ヒケ」
ボールの重心などを確認する作業
ボールを磨く工程
手作業で刻印に色を付けていく作業
ボウリングボールについて語る斉木室長代理

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