岩手出身の5人、追加で刻銘 沖縄・平和の礎、戦艦大和の乗組員も

猪股慶蔵さんの遺品を見返す恭一さん。平和への思いを強くする=一関市花泉町

 第2次世界大戦・沖縄戦関連の戦没者の氏名が刻まれる「平和の礎(いしじ)」(沖縄県糸満市)に、岩手県出身の5人が追加刻銘された。沖縄方面へ向かい、米軍の攻撃で沈没した戦艦大和の乗組員で、一関市花泉町出身の猪股慶蔵さん=当時(35)=も刻まれた。沖縄戦終結から78年が経過した今、世界の戦乱は終わりが見えない。遺品を守る親族は「平和や自由のありがたみを改めて感じなければいけない」とかみしめる。

 平和の礎は、78年前に最後の激戦地だった糸満市の平和祈念公園内にある。今月、本県出身として15年ぶりに刻まれた猪股さんの遺品は、一関市花泉町油島の農業猪股恭一さん(75)が保管している。慶蔵さんは祖父の弟。大和を背にした集合写真、履歴書、海軍から贈られた賞状、そして死亡通知書を「生きた証し」として大切にしてきた。

 慶蔵さんは1929(昭和4)年、横須賀海兵団入団。後に本県出身者では数少ない大和の乗組員になった。大和は41年に軍事技術を結集し、当時世界最大の戦艦として完成。慶蔵さんは妻、幼い娘を残して乗艦した。最後に帰宅した際に娘を抱っこしたという。

猪股恭一さんが所有する戦艦大和を背にした乗組員の記念写真。猪股慶蔵さん(前列右)は今年「平和の礎」に刻銘された

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