「夢、ロマン、情熱で人引きつけた」木村守男・元青森県知事死去、県政関係者らしのぶ声

リンゴ園地を巡回督励する木村知事。現地に足を運び直接声を聞く「現場主義」で知られた=1995年5月、板柳町

 木村守男元知事死去の報を受け、親交のあった政治・青森県政関係者らは「夢とロマンと情熱で人を引きつけた」「情熱の士」と人柄をしのんだ。

 木村氏の出身地・藤崎町の平田博幸町長は、木村氏を「人生の師」と仰ぐ。「藤崎にとどまらず、津軽、青森、国を良くしたいという使命感に燃えていた。夢とロマンと情熱で人を引きつける政治家だった」と敬意を込めた。

 「『常に選挙を考えろ。上がってこそ理想の日々を追い求められる』という教えが心に残る。県政、県庁を改革したことは高く評価されるべきだ」。県議時代、木村派の一人として支えた髙樋憲黒石市長は、こう振り返った。

 かつて木村氏の直系として政治活動を共にした升田世喜男元衆院議員(立憲民主党県連代表代行)は、1995年に木村氏が知事選に出馬した際、遊説隊長を務めた。「言葉ではなく、背中を見て学んだ。選挙にかける気迫は、私など到底及ばない」

 同じ知事選で、選挙対策本部幹事長として木村氏を支えた須藤健夫さんは「支援者が津軽から県内各地を回って歩き、支持を広げていった。木村流の選挙をまざまざと見せてもらった。熱い情熱を持った政治家だった」と語った。

 核燃問題を巡り、知事だった木村氏と論戦を交わした今村修元衆院議員は「自分と意見が異なる相手とも直接話す姿が印象深い。波瀾(はらん)万丈で、ざっくばらんな人だった」としのんだ。

 県社会福祉協議会の高杉金之助会長は、木村氏が知事として「福祉日本一」を掲げる中、県職員として福祉行政に携わった。県更生保護会館の整備や児童相談所職員数の増強などの実績に触れ、「歴代の知事で一番、福祉の仕事に力を入れた。木村知事でなければ実現できなかった事業が、さまざまある」と語った。

 三村申吾知事は、木村氏の辞職に伴う2003年の知事選で初当選した。木村氏の県政運営について三村氏は「豊富な知識と経験、あふれる個性とフットワークを兼ね備え、青森県の目指す将来像を壮大なスケールで描き、強力なリーダーシップでけん引した」と振り返った。自身の28日の退任が迫る中、「時代の大きな転換期に、木村氏の力がさらに必要とされる時にお別れしなければならないことは残念でならない」と悼んだ。

 自民党の江渡聡徳衆院議員は「津軽を愛し、地元のために一生懸命汗を流した方だった。個別に会えば、ものすごく優しい人。(国政進出のため)津軽の保守対決のはざまで相当苦労した分だけ、人に優しかったのだろう」と惜しんだ。

 大島理森前衆院議長は「県議会の1期先輩として、われわれ若手県議の勉強会を開催してくれた。政治に対する情熱、郷土への熱い思いが大事だと教えていただいた」と述懐。核燃料サイクルを巡っては激しい議論にもなったと振り返りつつ、「青森県に対する限りなき情熱があり、そのために戦う士だった」と評した。

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