「3年8か月ぶりの地元に思わず涙が…」河井克行元法務大臣 広島地裁の法廷で語ったこと

4年前の参議院選挙をめぐる大規模買収事件の被買収側の裁判で、実刑判決が確定している 河井克行 元法務大臣が証人として出廷しました。

裁判長
― 名前は何ですか。
「河井克行です」

証言台の前に立った克行氏は指先までぴんと伸ばし、大きな声で答えました。

27日、広島地裁では元広島市議会議員で、かつて広島市議会の議長を6年間務めた 藤田博之 被告の公判が開かれました。藤田被告はことし2月に政界を引退すると表明し、4月の広島市議会選挙には出馬しませんでした。

起訴状によりますと、藤田被告は4年前の参議院選挙をめぐり、河井案里 氏を当選させる目的と知りながら夫・克行元法務大臣から2回にわたり現金合わせて70万円を受け取った罪に問われています。

傍聴人の入廷が許可されたときには、すでに証言台の前に座っていた克行氏。上下黒のスーツに丸刈りの姿でした。

検察や藤田被告の弁護側からの質問は、2時間あまり続きました。

「(妻の)河井案里の当選を得たいという気持ちでいたことは否定できない」買収の意図を認める

検察や藤田被告の弁護側からの質問は、2時間あまり続きました。
(以下、質問の一部を抜粋)

検察側の質問
― 令和2年の7月、公職選挙法違反の罪で起訴されましたね。
「はい」

ー 起訴された事実は、この参院選において克行氏が単独で、または案里さんと共謀して案里さんに当選を得しめる目的で広島県議会議員や地方議員など計100人に対して選挙運動を依頼し、その報酬として現金を供与したものでしたね。
「はい」

ー この件で証人は東京地方裁判所で有罪判決を受け、その後、有罪判決が確定し、現在は受刑中ですね。
「はい」

ー 証人は自身の公判で、起訴された相手に対する現金の供与について、現金を渡したこと自体についてはどのように認否されましたか。
「認めました」

ー 案里さんに当選を得しめる目的をもって現金を供与したという点についてはどのような認否をされましたか。
「あの参議院選挙で広島県選挙区で自由民主党が2議席を獲得するという党の大方針を実現するために現職の溝手先生に加え、新人の河井案里の当選を得たいという気持ちでいたことは否定できない。全くなかったわけではないということであります」

ー 案里さんの当選を得たい気持ちがあったことは認めた?
「はい。その通りです」

ー 起訴事実で現金を供与したとされる相手方全員に対して、選挙買収の趣旨を認めたんですか。
「いいえ。そうではありません」

ー その中に、現職や元職の県議や市議などいわゆる政治家はいましたか。
「安佐北区選出の渡辺典子県議」

ー 選挙買収の意図がなかったと主張した相手として藤田被告の名前はあげましたか。
「あげていません」

ー 藤田被告については、選挙買収の意図はあったという認否になる?
「はい」

ー 今回の起訴内容の現金について、藤田被告に1回目の現金を渡したのはいつですか。
「藤田さんの統一地方選の最中か、直前だと思います」

ー 金額はいくらですか。
「覚えていません」

ー だいたいで覚えていませんか。
「うーん、20万か30万くらいかと思います」

ー この公判では起訴内容にある受け取った金額50万円に争いはないとされていますが。
「あ、そうか。そうですね。50万だったかもしれません」

ー 50万と聞いて違和感はありませんか。
「藤田さんは実力者だし、大物と認識していました。私の自民党県連会長の選任も含め、藤田さんには協力いただけると考えていた。その辺、他の議員さんとは違う。私の秘書だった前田智代栄さんの選挙も積極的にやってほしいという思いもあり、増額したかもしれません」

ー 藤田被告の事務所を訪問して面会したとき、藤田被告と話はしましたか。
「しました。事務所の中だったか、隣の自宅かどちらかです」

ー 藤田被告と話したことは。
「陣中見舞いですと言って白い無地の封筒を渡しました。トップ当選でしょうけど、選挙ですからがんばってくださいと」

ー 封筒の中身は現金ですか。
「そうです」

ー それ以外に話したことはありますか。
「よく覚えていません」

― 参議院選挙の話はありましたか。
「私は出てないんじゃないかと思いますね」

― 封筒を渡したタイミングはいつでしたか。
「これも記憶ははっきりとしませんが、私の行動様式を振り返ると、事務所の入り口を入ってすぐに『ご出陣おめでとうございます』と入り、わりと早い段階で陣中見舞いをお渡ししていた。それが私の一般的な行動です」

「塀の中での生活は1000日に…悔悟の念を抱かなった日はない。心からおわび申し上げる」

― 藤田被告への1回目の現金の趣旨は何でしたか。
「まず陣中見舞いです。それから自民党の党勢拡大…私自身の広島第三選挙区の地盤培養です。私自身、次の自分の選挙への関心はありますから。そして藤田さんは県連でも力があるので、県連会長就任にあたり、好意的な発言をいただいたので引き続き支援をいただきたいと。先輩政治家への社交、そういったことが大層を占めていました」

ー ほかにはありませんか。
「先ほども言ったように、参院選で自民党が2議席を獲得するという党の大方針を実現するために河井案里の当選を得たい気持ちが全くなかったわけではありません」

― 藤田被告への現金の供与は、案里氏の当選を得たい気持ちがあったのですね。
「はい」

― 現金を渡すときに、藤田氏に対して県連会長のことを頼んだことはありましたか。
「記憶にはありません。人様の選挙の真っ最中に私自身のことをお願いするような品のないことをしたことはありません。したがって、藤田さんの貴重な選挙中の時間を私の願い事で費やすことはしていないと思います」

― 藤田被告に2回目の現金を渡したとき、どんな話をしましたか。
「参院選について、自民党が広島で2議席を獲得することの大儀について私からお話しました」

― 藤田被告は何か言いましたか。
「案里さんは応援できないと言われたような記憶があります」

― 現金はどのタイミングで渡しましたか。
「覚えていません」

― 藤田被告はすんなり受け取りましたか。
「うーん、よく覚えていません」

― 封筒以外に藤田被告に渡したものはありますか。
「うーん、党勢拡大のための印刷物を渡したかもしれません。藤田さんに渡したかどうかは記憶はありません」

― この時期に配っていた印刷物は何ですか。
「河井案里と当時の安倍総裁の2連ポスターや案里の後援会の入会申込書、あとは自民党の機関紙、そのあたりではないかと」

― なぜ配付したんですか。
「党勢拡大のためです」

― 配付してどうしてほしかったんですか。
「党勢拡大のために後援会への入会働きかけや、自民党の支持を広げてほしい、河井案里や自民党への支持を拡大してほしいという考えです」

― 藤田被告への2回目の現金供与の趣旨は何ですか。
「1回目の趣旨と違うのは、陣中見舞いをのぞき当選祝いの趣旨で渡したということです」

― それ以外は1回目と同じ趣旨ということですね。
「はい」

― ただ、2回目の現金を渡したときに藤田被告から案里さんは支援できないと言われ、藤田被告に何を期待したんですか。
「藤田さんは広島市議会の会派を率いているので、会派の中で河井案里を応援するよう声をかけていただけるのではという期待感はありました」

― 最後にひとつ。現在服役中ですが、自分がしたことについて今、どう考えていますか。
(約30秒沈黙)
「きょうでわたくしが服役して617日目です。今月末には小菅(東京拘置所)を含めると、塀の中の生活は1000日に達します。その間、毎日のようにふるさとの風景やよく回ったいろんな行事の光景が夢に出たり、フラッシュバックのように脳裏をよぎったりします。多くのみなさまに迷惑をおかけした悔悟の念を抱かなかった日は1日たりともありません」

「こういうことで今回、3年8か月ぶりに地元に戻ってきました。山陽道から私の選挙区が一部見えました。安佐北区小河原地区の町や、安佐北スポーツセンターの屋根が見えて思わず涙が出て、ちょうど5年前の今頃、山陽道の橋脚付近の被災現場を地元の方と視察にまわったと思うと胸が熱くなりました」

「私の後援会の方だけでなく、4年前の戦いで河井案里と書いてくださった29万5871人の方々の期待を裏切り、失望を与え、心を傷つけてしまい、いまだに傷が癒えていない方がいると聞くと、私が行ってしまったことを自分の公判で述べたことと重ねて、心からお詫び申し上げたい。本当に申し訳ございませんでした」

そして、藤田被告の弁護側へ質問が移ります。

「藤田さんから応援してもらえなくても、会派の人を紹介してもらえるという期待はあった」

弁護側の質問
─ 藤田被告は案里さんの応援はできないと、なぜ言ったと思いますか?
「うっすらとした記憶だが、溝手先生を応援したいからとおっしゃったとうっすら記憶しています」

─ 県連の選挙対策委員で案里さんを応援できないという決定をしていましたね。
「県連として組織の応援はしないが、ただ個人としては活動をしばるものではないという認識でした」

─ 藤田被告から案里さんを応援できないと聞いても、まだ応援してもらえると思いましたか?
「藤田さんに応援していただけないのであれば、藤田さんの会派の中で応援してもらえる人を紹介してもらえないかという期待はありました」

─ 藤田さんと懇意にした事情は何がありますか?
「藤田さんの率いる会派で私の広島第三選挙区に3人の広島市議がいました。全員が私の選挙を積極的に応援していた人ばかりではないので、私の選挙に声をかけていただいて、できれば振り向がいてほしいという期待感もありました」

─ あなたは県連の会長になりたかったのですか?
「なりたかったというか、じゅんぐりに回していました。なりたいとかではなく私の元にも回ってくると信じていたところ、当時の会長、外務大臣でお忙しくされていた岸田さんの任期が延長され、私より国会議員の職歴の浅い宮沢洋一さんが会長についた事態をふまえて、私の後援会からは河井克行によっぽど何か欠陥があるのではないかという声が出てきました。私は是が非でも会長になりたいと思ってはいませんが、心配の声が広がるにつれて職歴で職歴で回すべきだと考えるようになりました」

─ 藤田被告に100万円渡したときに、県連会長に関する話題を持ち出しましたか?
「はっきりは覚えていませんが、覚えていないという前提で話すと、自分から県連会長になりたいと明示的にいうということはしませんでした。藤田さんの方からそろそろ河井さんにならないとおかしいよねとお声がけはあったが、私の方から切り出したことはありません」

─ 口には出さなくとも気持ちはあったんですか?
「あったかもしれません」

─ 藤田被告に氷代・餅代をいつ渡すようになりましたか?
「懇意になってからです」

─ 懇意になってから渡すようになったのはなぜですか?
「藤田先生の率いている会派には私の広島県第三選挙区の市議もいて、藤田先生の兄弟も安佐北区にお住まいで、日常の政治活動や次の選挙を考えて応援してほしいと思ったのと、藤田先生ほどのお力をお持ちの方に応援していただけるとありがたいと思ったからです」

─ あなたが起訴された令和2年7月8日の前日に供述調書が9つ作られた記憶はありますか?
「よく覚えていません」

─ 作られたとしたら内容を確認しましたか?
「署名したのであれば内容は確認していると思います」

─ 検察での取り調べのときに「藤田が3月下旬に50万円受け取っていますよ」というようなことを言われましたか?
「覚えていません」

裁判官の質問
─今現在、藤田被告に対してどんな気持ちですか?
(10秒~20秒沈黙)
「せっかく、藤田さんは広島市議会の中で、長年に渡って活躍してこられました。
もっともっと、これからも広島市議会の発展のためにご活躍いただきたいと願って、これまでお付き合いさせていただきました」

「私の件に関わって巻き込まれてしまった藤田さんの市政にかける志、思いを途中で途切れさせてしまったのではないかと、先ほど皆様方に対するお詫びを申し上げましたが、藤田さんにも同じような謝罪の気持ちを抱いています」

閉廷後、克行氏が証言台を立つより先に傍聴人は退廷するように言われ、最後まで克行氏の表情を見ることはできませんでした。

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