青森空襲 母が語った記憶絵本に テレサさん(米国在住)45年ぶりに来県、情報収集

青森市出身の母が語ってくれた記憶をたどり、45年ぶりに同市を訪れたテレサさん(右)と、夫のジョンさん
テレサさんの母・キョウコさんの遺品の中にあった写真。撮影場所や撮影年は不明だが、前列右から5人目がキョウコさんという
1978年、テレサさんが家族と青森市を訪問した際のパスポート。写真左端がテレサさん、右端がキョウコさん

 米カリフォルニア州の小学校教師で、母親が青森市出身のテレサ・ホーグさん(60)が6月上旬、45年ぶりに母の故郷を訪れ、夫のジョン・アレンさん(59)と市内を巡った。2年前に亡くなった母は1945年の青森空襲など多くの思い出を語ってくれたというが、記憶は断片的で、暮らした場所など不明な点も多いという。テレサさんは、空襲に関する母の思い出を絵本にまとめる予定で、「母のことを知っている人たちから情報を集めたい。絵本を通じて子どもたちに戦争の悲惨さを伝えられれば」と話している。

 テレサさんの母は34年生まれで、姓は「三上」、名は「Kyoko(キョウコ)」という。若い頃から英語が堪能で米国への憧れが強く、24歳の時に米軍三沢基地の空軍上級曹長デビッド・ホーグさんと結婚。その後、デビッドさんの異動で米オレゴン州に移住し、テレサさんを産んだ。

 2021年に米国で亡くなったが、晩年は故郷の思い出をテレサさんに少しずつ話して聞かせた。1945年7月の青森空襲の記憶も鮮明で、疎開していた平内から両親の安否を確かめようと座布団を頭にかぶって青森の自宅まで歩いたこと、両親からは「すぐ平内に戻れ」と言われたことを繰り返し語ったという。

 テレサさんは15歳だった78年の夏、母、きょうだいと1度だけ青森市を訪れたことがあり、ねぶた祭を見学。母の実家が営んでいたれんが製造会社も訪れたが、川のそばにあったことと、付近にれんがの土を取り出した丘があったこと以外は記憶が曖昧で、2度目の訪問となった今回は場所を特定することができなかった。

 テレサさんは母の記憶をたどるため、6月8日に同市中央市民センター内にある「青森空襲資料常設展示室」を見学。夫のジョンさんと共に展示品の一つ一つを食い入るように見つめた後、「母が語っていたこととマッチしている。空襲の記憶が自分にとってより現実的なことになった」と神妙な面持ちで語った。

 テレサさん夫婦はマラソンが趣味で、今回の来日では自宅があるリバーサイド市と姉妹都市の仙台市で行われた「仙台国際ハーフマラソン」にも参加。テレサさんが退職する数年後には青森空襲の絵本制作に本腰を入れるという。テレサさんは「また青森に来て、あおもり桜マラソンや弘前のアップルマラソンにも参加したい」と再訪を願った。

 テレサさんの母に関する情報提供は、青森市国際交流協会の工藤朝彦会長(電話090-3369-2793)へ。

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